2002年10月アーカイブ

最近の山歩きの傾向

最近の山歩きの傾向


☆若い人がいない

若い人がいない
確かに山中で出会うのは中高年齢層が多くなってきたとつくづく感じます。

そう言う自分も、もうその範中でいるのですが、以前の登山者年齢層と近年の変化は著しく変わってきたと感じます。
これはつまりは若者の登山離れではないでしょうか。

原因は登山より楽しい惹きつける遊びが他にあるということに尽きるのでしょう。今更、山の魅力をアピールしても若者は見向きもしません。

登山者の高齢化で、やがて今のままでは将来登山人口は激減してしまうでしょう。
ただ山々に静けさが戻ることはいいことでしょう
静かな山域が増えるとオーバーユースに伴う諸問題は解決されるでしょうし、過大な規模の商業施設である商業小屋の営業は昔の適正規模になってくるでしょう。


☆ツアー登山

なぜツアー登山が流行るのか私にはよく分からないのですが、山を登る動機付けとなる人々の情報源が一部のコマーシャルベースに偏ってしまっているのかもしれません。山岳情報の偏りで登るのは、この山しかないと思いこませるなかで、ツアー登山というシステムができ上がってしまったとしか思えません。

日本全国に山は本当に数多くあり、知られていない山の方が混雑する著名山よりずっと良いと思っている人はたくさんいると思いますが、なぜか紹介される特定の著名山に集中しているようです。

山を自ら発見していく気持ちが有れば、情報の偏りなどなくなるのでしょう。かりに有名な山でも人気のないコースはいくらでもあります。

なぜか情報が先行し人々に特定の山しか山がないように思わせてしまった結果特定の著名な山に人が溢れる結果になっていると思います。

そしてそうした著名な山には中高年のツアー登山客が溢れます。
ツアー登山は特定の山に集中するのが特徴なのです。また仮にツアー登山形式をとっていなくても実質的にツアー登山と同じ形式の大勢のグループ登山が増えているのも最近の特徴です。

実際、私など山中で大勢が一団になり動いているのに遭遇すると吃驚します。
オーバーユースの原因になりやすいこうした大人数の集団行動は自然環境の上から色々問題点が指摘きれています。
ハンドリングできる小グループで自然に親しんで欲しいと思います。
そして人々がよりオリジナルな自己の山行が計画し実行されることで著名山ブームは変わっていくことになるでしょう。

私の場合、自分の住む麓から近くの山を見てあの山この山と山を見つけていき次にその山の山上からあの山この山と次々に山を自分で発見していくようにして決して情報源が偏ることも無いようにしています

ただ以前より山の情報は大分増えているようで、昔、何の情報源もなく地図と磁石で現地で判断し登った山も、今ではガイドブックや紀行文で紹介されたりしていまして、以前なら何十回登ってもまず登山者に出会わなかったルートも、紹介されてくると、他の登山者に出会ったりするのです。

山は貸し切りではないので独りよがりにならないよう、偏りのない情報源で自由な発想で山を登り続けようとおもいます。


☆混雑する場所は

混雑するところが 一定の所に 極度に集中する傾向がある

山は広いのですが ある特定の山系の ある特定の山 ある特定のルート に多くの人が集中してしまう傾向が強い。
情報源の多チャンネル化とか登る自分自らが独創的な考えを持って山域ルートの研究に取り組まなくてはならないのではないか。


最近の山歩きの傾向

2002年10月10日 第1版制作
2003年6月10日 一部改訂増補

歩いたところが道になる

歩いたところが道になる
奥深い山


獣道野生動物が縦横に歩き回る自然豊かな森。獣道は 山の生き物 の 歩いた 足跡です。
深い山の なかで 山の生き物たちは 本当に 縦横に動いているのです。

それは 彼らが移動する時出来る 獣道や足跡が たくさん ついて いたりしているのを 見て その動きを 推測することができきることで証明されます。

また 雪面に着けられた アニマルトラックは 無雪期では得られない 貴重な 情報を与えてくれます。

こうした生き物は 天敵から逃れるとか 餌場への移動、繁殖地への移動、ねぐらへの移動とかを 第一にしていますから、途中で 利用することは出来ても、 これだけを 辿っていては 登山者は山頂には達しません。

点と線しかし 人間は 山の生き物の ようには 縦横には いきません。

人里に近い 里山は除き、人里離れた 原生林のある 深い深い山では 一般的に 人間が入り込んでいるのは 山のごく一部で 点と線で結ぶごく一部なのです。 登山者が 偉そうにバリエーションルートだと言っても 広い山肌のごく一部に 足跡を 残すだけなのです。

登山者以外で もっと 山肌に深く入り込むのは 広くアウトドアマンと言っていい人たちで、林業などの山仕事の人、植物採集 山菜採りの人、魚釣り漁師 やハンターの猟師、動植物の観察者、鉱山関係者、地質調査者など 他にも 深く山へ入り込む人はいます。

彼らも 森林地を 皆伐するときは別にして 普段からそう簡単には 縦横無尽に 山肌を入り込めていない と思われます。

特定のところ以外では ことに深いブッシュで覆われた 樹林帯など 大部分のところには 人は そう滅多には 入り込んでいないのです。

登山者と違って 山稜に こだわらない アウトドアマンは もっと山肌を深くトレースできているかもしれませんが、それでもごく限られた 一部の山肌を辿るだけなのです。

人の足跡 山肌全体から見ると ほんの ごく 一部であっても 人の足跡 は それなりに 大きい インパクトを与えます。 

人が入り込むと 元来、人の道とは 違う所を通っても 結局、人の道 にしてしまう物凄さがあるのです。

深く掘れてきた 登山道の横に新たに 迂回の登山道ができて 更に 登山道が広がるのは よく見かけますが、人の フットプリントは大きいので 地面に 大きな インパクトを与えるのです。 

少々の人が たまの週末に入り込んで 歩く程度なら、自然の持つ 大きな包容力という 自然回復力で 道の拡がりを押さえてくれますが、限度を超えた 夥しい数の登山者、ことに山での大勢の集団登山行為は自然回復力を遙かに超えてしまう、そら恐ろしいことになることが多いのです。


最近の著名山ブームで 話題になる 自然の包容力を越えた いわゆる オーバーユースの問題を 引き起こすこと になるのです。

出来る限り少人数のパーティーを推薦するのには理由があるのである。

原生に近い 手つかずの自然地帯では 歩いたところが道にならないよう 自然回復力の中で、ごく少人数で ルートを変える なりしていかなくてはなりません。

あまり人が入り込まないところで 人跡未踏のところでも 1回歩けば それなりに 足跡がつき、2回3回踏めば これは 2人3人と同じことなのですが、 更に回数歩けば 更にそれだけ道が しっかり ついてしまうのです。

つまり歩いたところが 道になってしまうのです。

我が道を行く ローインパクトな山歩き歩いたところが道になる。

アニマルトラック

登山者は山稜に こだわり があるが 野生動物には こだわりがない 諺にもあるが 人生は歩いたところが 道になるのです。 我が道を行く のは 人生 の生き方 だけでなく 自然に 出来る限り インパクトを与えない登山方法だと思います。

歩いたところが道になる


2002年10月10日 第1版制作

2006年3月21日 更新

山の発見

山の発見


1 自宅から見える山、次にその山から見渡して、見える範囲の山
登山しようとして、一体、何処にどんな山があるのかまず調べなくてはなりませんが、
色々と遠方の山々を、山岳関係の情報文献資料などを見て行く時がありましたが、
いまの私は、出来るだけ、 まず自宅から見える山を、山登りの始まりとします。

まず、自分が住んでいるところから遠望して、見える山に登り、次にその山から見渡して、見える範囲の山を登り詰めていきます。

つぎに またその山から見渡せて見える範囲 を登るのを繰り返していくのです。

山の発見は、このようにして行うのですが、まず基本は、自分の目で見て、気に入った山、登りたい山を、決めていくようにしています。


2 山群はやがて更に、大きく山域

こうして登る山々が一つが二つ、三つ、四つとなってきて 大体 一つの山群が出来上がります。
その山群はやがて更に、大きく山域となってくるのです。

そして、いくつかの山域が出来ても、その中で一番気に入ったところが出来てきます。

このお気に入りの山域が私のホームグランドなのです。

春夏秋冬それぞれの季節に、いろいろなコースから、この山域を眺め、山中で彷徨を繰り返しましても、
毎回違った光景に出会うことになります。

動植物の変化。風の冷たさや暖かさとか季節の移ろいを毎回感じるのです。


3 もうこんなに、登山回数を重ねたのか

じっくり、山域を味わうには、かなり足繁く通い続け、知らない間に、
もうこんなに、登山回数を重ねたのか、自分でも吃驚します。

毎回、同じ山域で、飽きがこない様になるには、実は、素直な気持ちで 毎回、虚心坦懐に山に接していくことが必要なのです。

4 特定の情報源に偏り

 多分、最近の混雑する特定の山での、特定のルートや特定の時間帯は
案内するガイドブックなど、特定の情報源に偏りのせいではないでしょうか。

 実際、私は山中での喧噪は好きではないのですが、山の発見をこのように行って、
新たにしていくと、結果的に実に静かな山ばかりで、満足できる山域に通うようになってきています。

  その基本になる山域の情報は、しっかりと自分の見える範囲から次々に膨らませてきて、
情報源として何処にどの山があるのかと、しっかり地についた山域概念が出来てくるものなのです。

発想を豊かしていけば、ただ登るだけでなく、もっと貪欲に山を楽しめるというものなのです


2002年10月10日 第1版制作
2006年3月22日 更新

山の発見

古い古い登山のガイドブックはとても参考になります

-------------------------------------------------------------
「乗合自動車は、たいてい稲核までしか行かない」 加藤文太郎

--------------------------------------------------------------

物持ちがよいからかもしれませんが、山登りを始めた頃の古い古い登山のガイドブックはいま読み返すととても参考になります。

今でも昔でも山稜線上のコースタイムなどははそうは違いませんが、今と昔では山稜に達する時間が断然違うのです。
それはアプローチの時間が全然違うからです。

昔のガイドブックには駅から徒歩9時間なんていう記述が普通に見受けられます。

実際私自身昔南アルプスの入山で普通道路を何キロも歩いた後に森林軌道20キロ歩いたこともありました。

時間のかけ方が昔はアプローチに十分時間を掛けじっくり腰を落ち着けて山にのっぼっていました。

しかしいまでは全然異なっていて林道終点まで、スーッと車で上がって ちょっと歩いて山頂に達し、すぐ下山するコースが メインルートとして紹介されています。

いわば半分以上車の登山であって、歩く時間の一番の少ない最短コースに概して人気が集まる現象があります。



一番時間のかかるロングコースは嫌われ結果的に空いています最近のガイドブックを見ると、こうした登山者の変化にただ唖然とします。
本当は山頂への途中の道のりがいいのです。
下からじっくり歩いて行ってこそ登山の楽しみは増すと思うのですがいかがでしょうか。



2002年10月10日 第1版制作
2006年3月20日更新

赤テープ考

赤テープ考


「テープを含めて、私製のあらずもがなのの指導標には、私は自己顕示の臭みを感じて好きにはなれない。
山は登らせてもらったことを感謝し、なにも残さずにそっとたち去るのが本当ではないだろうか。」
   横山厚夫 「低山を歩く」1995年6月 山と溪谷社


赤テープ


☆所詮はゴミ


最近どこの山域でも 登山道に沿って 木の枝などに 赤いビニールテープが 付けられているのをよく見かけます。

登山者が目印にしたのでしょうが、これらが 本当に 必要なのか よく考えてみる必要があります。

結論的にいえば赤テープといえども 所詮人間の 持ち込むゴミの類で,山へ持ち込んだゴミは自分で持ち帰るべきだと思います。


回収した赤テープ。山を汚すゴミになるだけで、残置 赤のビニールテープなどは付けた人が回収すべきものです。
赤テープをつけて回収するなどすれば問題ないのですが、赤テープなど残置する行為が問題なのです。

もし回収が不可能ならば 原則的にテープなど付けないことです。

どうしても付けたいというのなら、
せめて自然に還元しやすい 綿の赤布または生分解性プラスチック使用の テープ類ぐらいにしてほしいのです。


☆登山者だけの山ではない

実際 山里の人と話した時、 一部の登山者が人の山に勝手に目印を付けてしまい迷惑だというのを直に聞きました。
その山域では 山里の人が 常に山道を 整備してくれていました。

迷わないように、 しっかり道を手入れしているのに、
一部の心ない登山者の赤テープの乱発が山里の人に 更に撤去の負担を 掛けてしまっているのでした。

山は 登山者だけでなく 山仕事の人や 山里の人など 様々な人が入り込みます。

登山者の勝手で付けるテープで 多くの人が 迷惑しているのを 直接聞いて、
やはり 赤テープは残してはいけない という考えになりました。

登山者は 山へ入るときには 地図磁石位は 持参して しっかり使えるようにして 入山すべきだなのです。

もしどうしても 往復コースで 目印を付けたい のなら絶対 自分で確実に回収、撤去すべきでしょう。

こうした一部登山者が 赤テープを付けたがる心理は、 
実は山頂などへ の私製山頂標識を付けたりする心理や 落書きする心理 と通じているとも思います。

槍ヶ岳の北鎌尾根に 目障りな赤ペンキなどが 多数付けられ(ここ)、困っているらしい、のですが 、
最近どの山でも 各地の山域に出没する落書き癖のある登山者で悩まされています。

そもそも赤 テープの類はルートを熟知した達人が付けるよりも、ルートにやや不安にある人が付ける場合がほとんどです。

間違っているところ、適切でないところにつけられたもの、
積雪期のルートなど、目印自身あまり信頼出来ないのも多いのが実情です。

赤テープを付けたがるのも 有名観光地で 記念物に落書きするのと 同じ自己顕示の心理がもとで、
変なたとえですが、犬が自己の勢力範囲を示そうと、放尿するのと まるで、 一緒に思えるのです。


☆テープしか見ない習慣

適切な指導標や登山道などが完備されている 山域でも、
以前に比べ 最近マーキングの類など増えてきています。

恐ろしいのは こうした 赤テープばかりが 多く付いている 道ばかり 登っていると、
習慣的に そのうちに 目が 赤テープに 馴れてしまって、
、赤テープばかりを 追いかけていく ルートファインディング になってしまいます。

本当に大事なのは 研ぎ澄まされた方向感覚 地形判断能力 踏み跡を 見抜く 観察力 などですが、
赤テープに頼る習慣を身に付けていると 決して養われることがありません。

目印の多さが へたなテープしか見ないで 肝心な地図磁石なども 見ず、地形をも見ず、
 テープだけを追いかけていく 変なルートファインディングの習慣がついてしまうのが 実は 本当は恐ろしいことです。

北鎌尾根のような難しいコースでは 自分でルートファインディング できることが求められています。



☆変な先入観

同じ目印に 石を積むケルン や鉈目を付けるなどがありますが、
木や枝を切る鉈目は木に傷を付けるので今では良くないとされています

石を積むのも 程々にしたいものです

この方は まだ外から ゴミを持ち込まないから せめて救えるのですが、
 自然に配列されている石の配置を 大きく変えるのはよくないのです。

テープや ケルンなどあれば どうしてもそれに 目が移ってしまい 変な先入観に捕らわれてしまい、
地図と磁石で 現物の地形を じっくり観察し ルートを見定めていく 気持ちが薄れてしまいます。

石もテープも 何もなければ 自分で考え 自ずから慎重に判断していきます。

逆に テープ頼りにいったばかりに 道迷いになり 大変な目にあったという事例もあります。


★平成18年1月2日と平成17年1月2日---"残置テープに惑わされる"

平成18年1月2日と平成17年1月2日に全く同じ山域に登りました。

両日とも全くトレースなく雪山を満喫できました。
1848mの矢筈山頂からの下り、山頂から北北東へ延びる尾根を下降ルートに使いました。

途中から枝尾根に入り、やや北に振ってまた北東へ向かうのが普通のルートです。

平成17年1月2日はピストンコースでしたのでその普通のルートで下りました。
平成18年1月2日は周回コースでトレースのないところラッセルしてを一気に降りました。

18年1月2日は途中からやや北東へ振ったなと気がつきながらも、つい赤テープにつられてしまいました。
1315m標高点に近くなって、おかしいからと、 
もう一度標高差150m引き返し、水平に160m移動し
正規の尾根を確認はしましたが、

あまりに連続的に赤テープがあったため、一体どこへ下るのか気になり、
また元の戻り、 1315m標高点を経由してみましたが、あまりいいルートでもなく、
最後は急な斜面で正規ルートへ合流しました。

結局、単に 赤テープに惑わされただけでした。戻った分、時間のロスでした。

矢筈山へは79回登っていて、このコースだけでも何十回もあるはずですが、
残置赤テープの類で助けられるより、
惑わされることの方が多いのが、実情なのです。

2006年トラックログ


徳島県美馬郡つるぎ町(旧 一宇村)二万五千分の一地図  「阿波中津」 「阿波古見」

平成18年1月2日と平成17年1月2日のGPSログ比較


☆現実的な対応 段階的に徐々に

しかし、大勢の登山者が 入山している 現状を考えると、山域とかルートとか にもよりますが、
理想的な考えだけで、テープ問題は すぐ解決できないのが実態でしょう。 

理想を目指して 段階的な現実対応策を 順次進めていくこと しかありません。

大勢の 登山者がいても その 経験も 技術レベルも 上から下まで 色々です。

 まず 全くテープも 私設指導標もない状態など 一気にはできないないので、
現実に即して 考えられる対策としては、山域とルートに 段階的な差を付けて、
コースの 整備状況や ルートの難易度に 応じた対応が 必要でしょう。 

そしてその上で、テープとか 私設標示類は
撤去していいものと、当面は有ってもいいだろうという二通りに分類して、みる必要があるでしょう。

当面直ちに撤去していいのは、明らかに人々を 誤った方向や危険な方へ導いていまうもの。
すでに地面に落ちているもの、外れかかているもの。
立派な指導標があるにもかかわらず、ひつこく、ひつこく落書きの様に表示されているもの、
自己顕示的な広告的標示の類、目障りな、
数メートル間隔のような標示、これらは明らかに撤去しても誰からも文句はでません。

それら以外は、まあ当分は深く息を吸って、黙っておくことにしておきます。

コースの整備状況やルートの難易度に応じては、それで大分経るでしょうが、
それでも いくつかのは当面残って行くでしょう。
またルートの難易度に応じては 一気に減ってしまう ところもあるでしょう。

そして登山者全体が ゴミを残さないルールが 徹底するまでは、ビニールでなく
 自然に還元しやすい純綿などの 赤布マーキングを 仮に使用していくことが 推奨されていくことになります。

徐々にゴミを少なくするよう 浸透させていくことになります。


●「参考」

生分解性プラスチック使用の テープ類 

http://www.bpsweb.net/index.htm
http://www.taketani.co.jp/html/details003.html



☆一時の刈り払い マーキングの寿命

ところで、申すまでもなく、自然の力は物凄いものがあります。

人間の手による、一時の登山道の刈り払いなどは、その後、人が通らなかったり、
その後の適切なメンテナンスがなければ すぐに荒れ放題の道になります。

色あせたテープ、粘着力のなくなったテープなどみると、マーキングの寿命など すぐなくなってしまうものだと思われます。

山頂の標識も 何年かして 同じ山頂へ行くと 看板とか指導標は 実によく変わってしまっています。

風雨雪に耐え長い間、同じ看板などありません。山頂への私設看板は ゴミを増やすだけで、止めるべきです。

不用意なマーキングは人を却って 深い深い迷路へ導いてしまうのです。 

人がどう言おうと、歩むのはあなたです。自ら道を考え 探し出すのが 自己責任での山での行動というものです。


☆ルートファインディングの楽しみ

そもそも 山の楽しみの一つにルートファインディングがあるのです。

その楽しみは 奥深いもので、 じっくり地形を観察しルートを 見つけながら行くことで 、
歩いたところが道になるところで山登りが人生にたとえられることにもなります。

赤テープ 赤ペンキ 石積みケルン などのマーキングは、
 あとからくる登山者にそのルートファインディングの楽しみを奪う結果になるのです。

地図磁石だけでなく 最近は高度計 やGPSなども 普及し、現在地確定は そんなに難しくありません。

雪山のルートは 夏道では危険なところがあります。冬期に付けたテープが夏には人を迷わします。

夏付けたテープは冬期には使えません。どちらも本当は撤去すべきものなのです。

ミニマムインパクトで自然に親しむのは痕跡を残さない基本です


☆GPSの活用
赤テープなど 目印を付たがる心理の一つには 帰り道の不安感によるものがあります。

その山域に熟知している人は テープなど付けません。
大抵 初心者もしくは中級者など 山域に不安感がある人が 付けるケースが 殆どではない でしょうか。

最近特に普及してきた GPSの活用は 赤テープより 遙かに 有益な 情報を 常に与えてくれます。

GPSの取り扱い に習熟すれば テープとは比較にならない 安心感が 常に えられます。

万が一のことを考えて 赤テープを使うのでしょうが、 
その代わりに GPS を積極的に 使うようにすれば 赤テープなど の目印は 大いに減ってしまうと思います。

赤テープ 付けるぐらいなら GPS を 使え というのが 私の主張です。


☆ テープ問題で 大変参考になるWEBサイト

三段山クラブ様の
冬山の残置テープはいらないです。

「 どんなに酷い気象条件下でも、こんな間隔の大量のテープは必要ないので理解に苦しみます。
しかも自然分解しないビニルテープをこんなに残置するなんて、信じられません」


風雪など 厳しい気象条件の山域でも 残置テープは いらないと されてきています。
もし どうしても付けるのなら つけた本人が、自分で撤去すべきものなのです。

 まして 温暖地の好条件のもとで 登山されている方々の場合 安易なテープ頼りのルートファインディングは、
自らのルート発見応力の低下をもたらすばかりの結果になります。


2002年10月10日 第1版制作
2006年3月 17日 更新

山道具考

山道具考


--------------------------------------------------------

「僕は何も回顧趣味に溺れるわけではない。
近代科学の恩恵にあずかぬことは馬鹿げている。
しかしヴァレリーが、近代の人間の精神的怠慢は科学の発達による、という意味のことを言っていたことを思い出す。
スピードとイージーが容易く手に入る結果われわれはもはや苦労して得ようとはしなくなった。
手軽な翻訳本が出てきたために誰も字引を引き困難して原著に就くものがなくなったようなものである。
精神の滋養となるものはそういう困難の中に存するのだが。」
深田久弥

--------------------------------------------------------


昔の山道具でいまだに現役で使っているものもありますが多くは何代か買い換えてしまいました。

確かに山道具は良くなりました。軽く高機能になり防水性通気性断熱性に優れ暑さ寒さに対処できる優れた装備が揃うようになり便利になりました。

いいことずくめで文句がありませんがこの装備のお陰で登山者が退化した一面があるかもしれません。

昔 綿のヤッケを持っていましたが、ワセリンを塗ってもバリバリに凍って剣道の胴着のようでした。

今は高機能素材で素晴らしい性能を発揮するのですが、劣悪な装備しかなくてもそれなりに山へ登っていた当時の方が遙かに山を楽しめていたのかなとも思っているのです。

断熱性能の悪いシュラフでまんじりともしない夜を耐えしのぐ精神力を養ってくれたのも性能の悪いシュラフのお陰でした。
性能の悪い断熱マットは一晩中下から冷気を伝えてくれて、ただ朝が待ち遠しいのでした。今のサーマレストなど快適過ぎます。



しかし、今考えれば悪い装備のお陰でそれなりに深く山を楽しめたのではと思います。

もし仮にいい装備で楽に熟睡し寝過ごすような苦労知らずの山の経験をしてしまっていたら随分つまらない登山で印象も薄いものになっていたでしょう。

苦しんでやっと登った方が喜びは大きいのです。簡単にロープウェーやドライブウェーで登ってしまっては山頂での喜びは少ないのです。

登山は難行苦行のほうが印象が強く残ります。

実はより自然に親しむには過剰装備は妨げになるのです。
危険を避ける技術や精神力体力を鍛え上げた上で,
出来る限り自然に親しめるように使いこなせる必要最小限の装備であれば山の楽しさもぐっと増すことでしょう。


このアーカイブについて

このページには、2002年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2000年9月です。

次のアーカイブは2003年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.1.2