2004年9月アーカイブ

お亀岩避難小屋 台風被災 復旧 2004-2005年
1-20050901okameiwa-1.jpg


★平成16年(2004年)8月21日
2-2004-08-21-11-27-7895.jpg

屋根の破損は全くない


★平成16年 (2004年) 台風災害 大きな爪痕 
平成16年 紅葉より先に 枯れて変色した木々が 山肌を褐色にしています。

平成16年8月-9月にかけて、来襲した台風の暴風雨が お亀岩避難小屋だけでなく この山域に大きな災害をもたらせました。この付近では 光石登山口からのフスベヨリ谷コースなどが 沢沿いに 大きな災害を受けました。

●台風被災以後のフスベヨリ谷  光石 三嶺(1893) 西熊山(1815) 天狗塚(1812) 光石 

はやく 以前のような 穏やかな渓谷美の山に戻って欲しいものです。


★平成16年9月4日の状況  3-2004-09-04-14-56-59_8184.jpg 2004年9月4日の状況 下地の ルーフィングがまだ残っている

4-2004-09-04-14-56_8184.jpg
2004年9月4日の状況


★お亀岩避難小屋 

台風被害 平成16年9月11日の状況

平成16年9月の台風16号、18号の二つの台風でお亀岩避難小屋が破損しました。
屋根材が 暴風で剥がれ落ち 内部が漏水し大きな被害を受けました。平成16年9月11日撮影

5-2004-09-11-11-54-55_8389.jpg
西熊山下り でお亀岩方面 暴風雨で 木々が褐色に変色
笹が寝ている

6-2004-09-11-11-55-14_8390.jpg
お亀岩避難小屋 屋根破損状況


7-2004-09-11-12-19-18_8419.jpg
内部 漏水状況

8-2004-09-11-12-17-50_8418.jpg
内部漏水状況

9-2004-09-11-12-19-45_I8422.jpg
天井 壁 漏水状況

10-2004-09-11-12-21-38_8425.jpg
屋根 破損状況 西面屋根

11-2004-09-11-12-15-55_8415.jpg
破損した 屋根材

12-2004-09-11-12-33-24_8434.jpg
屋根破損状況


★お亀岩避難小屋 台風被害応急復旧 平成16年9月25日撮影

「三嶺を守る会」の方々等のご尽力で、 平成16年9月25日 たちまちの 応急復旧工事が 行われました。

13-2004-09-25-13-21-9012.jpg
お亀岩避難小屋修理中

14-2004-09-25-14-23-9021.jpg
お亀岩避難小屋 台風被害応急復旧完了

「三嶺を守る会」の方々には頭が下がる思いだ。


★台風21号のあと 平成16年10月2日撮影

2004年10月2日

15-2004-10-02-12-50-57.jpg
外観

16-2004-10-02-12-54-45.jpg
屋根材の一部が 飛ばされていた

17-2004-10-02-12-57-47.jpg
南側 左から四本目の紐が 切れている

18-2004-10-02-12-57-54.jpg
紐の 一本が 外れている

19-2004-10-02-12-58-05.jpg
東側 良好

20-2004-10-02-13-10-06.jpg
北側良好

21-2004-10-02-12-59-26.jpg
内部 東面 雨漏れなし

22-2004-10-02-13-00-10.jpg
内部 西面 雨漏れなし


★その後 2004-2005年にかけて


●雪のあるとき

23-2005-01-08-14-09-180.jpg
2005年1月8日

24-2005-01-29-10-53-133.jpg
2005年1月29日

25-2005-02-05-13-17-112.jpg
2005年2月5日

26-2005-02-13-12-37-144.jpg
2005年2月13日

27-2005-02-19-13-53-105.jpg
2005年2月19日

28-2005-03-19-11-17-157.jpg
2005年3月19日


●雪が溶けてから

29-2005-05-03-14-04-143.jpg
2005年5月3日

30-2005-05-14-12-22-072.jpg
2005年5月14日

31-2005-06-04-08-28-0058.jpg
2005年6月4日

32-2005-06-18-09-04-066.jpg
2005年6月18日

33-2005-06-25-11-54-0102.jpg
2005年6月25日

34-2005-07-02-12-28-0038.jpg
2005年7月2日

35-2005-07-16-08-31-037.jpg
2005年7月16日

36-2005-07-24-11-58-122.jpg
2005年7月24日

37-2005-07-30-12-25-077.jpg
2005年7月30日 シートが傷んできた


★平成17年8月 本格復旧工事

「三嶺を守る会」 をはじめ 関係各位の ご尽力で 本格復旧が 始まりました。
復旧工事に携われた方 また 資材 機材 などの 運び上げ にご尽力され また ご協力された方々には 深く感謝申し上げます。

38-2005-08-06-11-56-106.jpg
2005年8月6日

39-2005-08-06-11-59-109.jpg
2005年8月6日


★復旧工事完成


40-2005-08-13-10-59-075.jpg
2005年8月13日 本格復旧完成

41-2005-08-27-08-48-058.jpg
2005年8月27日


★おわりに

平成16年 は 相次ぐ 大型台風や相次ぐ集中豪雨など 大自然の猛威が 次々に襲い、 土石流が フスベヨリ谷を 一変させ 多くの倒木が流れでたり、 夥しい風倒木を発生させました。
こうしたなかで 人工の構造物の避難小屋も無事では済みませんで 屋根が破損するなど 大きな被害を受けました。

お亀岩避難小屋を襲った 平成16年の台風被災から 登山道の復旧にはじまり 小屋の屋根のとりあへずの 応急復旧、 そして平成17年にかけての 本格復旧にかけて、その間 実に多くの方々の ご尽力があり、お亀岩避難小屋は もとのように なりました。

これを 見るにつけ この山域の自然を を 心から愛し 自然を大切にしなければと 思っておられる 多くの方々の想いが、 こうした復旧工事などを 支えているのだと 痛感した次第でした。

被災から この一年間  この避難小屋を 通りすがり ばかりで 何の助けにも 役にも立たなかった 私など 誠に 恥ずかしい限りです。


また台風の試練

★お亀岩避難小屋  平成17年9月24日撮影

この山域は2005年9月 台風14号 が襲来し、 また フスベヨリ谷などが 少し変わりました。
8月屋根修理が終わったばかりの お亀岩避難小屋 も台風の試練を受けました。

光石 三嶺(1893) 西熊山(1815) 天狗塚 (1812) 光石>平成17年9月24日

42-2005-09-24-13-01-117.jpg
屋根は被害なし

43-2005-09-24-15-18-158.jpg
トイレドアが一枚ない

44-2005-09-24-15-20-159.jpg
男子用トイレ

45-2005-09-24-15-22-167.jpg
部屋の中に トイレドア保存
平成17年9月24日撮影


46-2005-11-05-06-45-014.jpg
トイレドア修理済み

平成17年11月5日撮影



★無人小屋でありながらも

47-2005-11-05-06-45-okameiwa_0.jpg
平成17年11月5日撮影

お亀岩避難小屋は いつ訪れても きれいに適切に管理されている。

ストーブのあたりの 整理整頓された、きれいさは この避難小屋を愛する人々の気持ちが 隅々に あらわれていて とても 気持ちがよい。

この避難小屋は 昨年 今年と 幾度か 台風の試練を経たが、山小屋を愛する多くの人々のおかげで 復旧修理され、 無人でありながらも 常に 適切に手入れしつづけられ 管理され 運用されてきている。

この無人の避難小屋を見るたびに、この山域に 思いを寄せ、山小屋を愛する、多くの人々の 下支えこそが、本当に大切なのだと つくづく思う次第である。


お亀岩避難小屋 台風被災 復旧 2004-2005年 http://shumiyama.com/h24/yomoyama/oakameiwa2004-2005.html

平成16年9月11日 第一版
平成16年10月2日 改訂増補
平成17年11月19日 更新



「趣味の山歩き ますます深くなる近くの山域」 趣深山 Copyright(c) 2002-2008 HOME>よもやま話> お亀岩避難小屋 台風被災 復旧 2004-2005年

「趣味の山歩き ますます深くなる 近くの山域」 趣深山
Copyright(c) 2002-2008  趣深山 All Rights Reserved

--------------------------------------------------------------------
一回 二回 何十回 何千日
http://shumiyama.com/h24/yomoyama/ikkai-nikai.html
--------------------------------------------------------------------

「ところが、この誠に恐るべき存在である海に立ち向かって工事をしなければならない人間のほうは、誠に不確かな存在である。人間は常に間違いを犯すし、いかに優れて沈着冷静な人間でも、常に沈着冷静でいられる保証はない。人間は ときに人間離れした精神力や器用さを発揮することもがあるが、そんなものが強大で非情な海に常に通用するはずがない。」

「海中土木技術」杉田秀夫著 1994年 山海堂

--------------------------------------------------------------------

★瀬戸大橋をつくった男

杉田秀夫氏(1931-1993)は旧国鉄をへて、日本鉄道建設公団から本州四国連絡橋公団で所長として架橋工事の現場第一線で陣頭指揮にあたり、「瀬戸大橋をつくった男」などの本や、テレビドラマ、プロジェクトXなどで紹介され、海洋の架橋工事に大きな功績を、残されている。

生前 杉田秀夫氏は橋は決して土木技術だけで出来たものではないと言っていた。
杉田氏は土木技術者であるが、橋は、色々な分野の技術が結集して出来ているので、決して自分だけの技術ではなく、裾野の周辺分野の技術の拡がりの重要性を殊更強調されていた。

こうした 謙虚さを もたれているのは 懐の深い 海という大自然を相手に 日夜 苦闘されてきた 苦労の末に体得された結果ではなかったと 想像でき出来るのである。

--------------------------------------------------------------------

★荒川放水路 十五年間

杉田秀夫氏は 、「昭和37年、土木学会が明石で架橋調査を行ったときの、原口忠次郎氏(元 神戸市長 内務省出身)の言葉が 二十七年後の今も 耳に残っている」と瀬戸大橋が完成した昭和六十三年 に言っておられれた。

原口忠次郎氏は 戦前 内務省で その当時の大事業である荒川放水路の工事を15年間にわたり 携わり、毎日毎日 川と向かい合って 苦闘し続けて 「十五年間でようやく川の心が わかるような気になった」という。

この原口忠次郎氏の言葉が ずっと耳に残っていると 杉田秀夫氏は 聞いてから27年後に
述懐された。

杉田秀夫氏は 瀬戸大橋の海中基礎の工事で十年間 日夜 苦労され 10年間で海の何たるか 少しづつ わかりかけたが、それでも 百分の一しかわからなかったのが 百分の二程度になった程度で、海の全ては決してわからない。
自然は 尽きない 奥の深さを持っている と思う、と発言されていた。
  
 自然を相手に 苦労すればするほど 自然の奥深さを つくづく感じるのである。

原口忠次郎氏の荒川放水路十五年間、 杉田秀夫氏の瀬戸大橋 十年間、 ともに自然の奥深さを つくづくわかる 謙虚さを この賢人達は持ちあわせていた。

苦労の末 自然の奥深さを 体得したといっても良いのだろう。

--------------------------------------------------------------------

★六十日が四十五年 佐伯郁夫様

「私は、年間60日ぐらいの山行を重ねて45年になる。それでも未知の分野・体験できない領域が果てしない。だからこそ、生涯汲めども尽きぬ永遠のテーマを与えてくれる山登りと取り組んで行くことが出来る。登山という趣味を得たことに幸せを感じている。」
 佐伯郁夫 

「とやま山ガイド 10ジャンル100コース」
佐伯郁夫・佐伯邦夫著 1996年 株式会社シー・エー・ピー


--------------------------------------------------------------------

★ 一回 二回でなく  何十回でもなく 何千日でも

その山を 一回登ったとか 二回の登ったとかで その山の全てを登り尽くしたと感ずる人がいるかもしれないが、 たとえ 同じ山を何十回 何百回登ったとしても 山の 奥深さがそう簡単に分かるのものでないと思う。

山は高さに関係なく 低くても そんな程度で 極められるほど 自然は簡単ではない。

晴れの時 雨の時 雪の時 春夏秋冬 それでも 毎年毎年 違った顔を見せ続ける。
朝昼晩。時々刻々 変化し そのたびに 新たな場面に出会うほど 山は 奥深いものである。

自然と対峙するということは 何千日も毎日毎日 苦闘された 方が 十五年でやっと川の心がわかりかけたとか、
十年でやっと 百分の1から百分の2になるくらいの レベルの話なのである。

四十五年間 二千七百日でも 果てしない未知のテーマをあたえてくれる山。

私など 過去の山行を振り返ってみても まだまだ お恥ずかしい限りで 山の何たるかも まだまだ分からない状態で とても 奥は果てしなく 果てしなく 未知の山が続く状態なのです。

杉田秀夫論文集-論文・遺稿・講演・メモ?

『杉田秀夫論文集-論文・遺稿・講演・メモ?』

--------------------------------------------------------------------
平成16年9月7日 第一版
平成21年1月27日更新

--------------------------------------------------------------------
http://shumiyama.com/h24/yomoyama/ikkai-nikai.html

一回 二回 何十回 何千日
http://shumiyama.com/h24/
「趣味の山歩き ますます深くなる 近くの山域」 趣深山
Copyright(c) 2002-2010  趣深山 All Rights Reserved

東洋一の吊り橋

--------------------------------------------------------------------
東洋一の吊り橋

--------------------------------------------------------------------
http://shumiyama.com/h24/yomoyama/touyo1.html
--------------------------------------------------------------------
1-ikeda-hukin-1000.gif


平成元年 三好橋は それまでの吊り橋からアーチ橋へ 改修されて 再スタートを切った。
2-2004-08-21_7731.jpg
残されているケーブル

3-2004-08-21-7731.jpg
大正十五年製造 の 銘板 「小倉○○」

4-0136001-m.jpg
古い写真
三好橋開通式 当日 の 賑わい 昭和2年(1927年)(土木学会提供)

5-0136002-m.jpg
東洋一吊橋 三好橋 (土木学会提供)
(金364000円也)


--------------------------------------------------------------------
★三好橋 昭和2年開通 吊り橋としてその当時 東洋一
昭和2年(1927年)開通の三好橋は243mの長さ(中央径間139m)の吊り橋で、出来た当時、吊り橋としては東洋一の規模を誇っていた。
こんな 四国の山奥に その当時に東洋一の 構造物が出来ること自体 大変な驚きである。

明石海峡大橋 瀬戸大橋など世界に誇れる長大橋が出来ている 今日にして思えば その当時の東洋一とは いかに 東洋と 西欧米諸国と 格差があったかという 事を如実に示していると思うのだが、こんな山間地にでも その当時東洋一のモノをつくるだけ 四国の山間地が 林業など 山間地なりの産業で栄え 地域が発展し 人々の動きが活発であったという事も想像される。

大正12年吊橋の河童橋が出来たが、その当時あった日本の古い吊り橋は下記サイトを参照
http://www.daido-it.ac.jp/~doboku/koto/stu/watanabe/rekisi.html

アメリカでは
「アメリカの経済の中心であるニューヨークのマンハッタンとブルックリンを結ぶブルックリン橋が完成したのは1883年。中央径間486mです。 中央径間500mクラスの橋を架けるのは当時の技術では不可能と見られていましたが、ナイアガラ橋で実績のあるジョン・ローブリングは、平行線ケーブルを使った、吊り橋方式を提案、建設されることになりました。
1931年、ニューヨークのハドソン川に架けられたジョージ・ワシントン橋は中央径間1067m。」
http://www.kajima.co.jp/gallery/const_museum/hashi/index.html建設博物誌より引用

この頃 アメリカでは 長大橋がどんどん出来ていて この10年後の1937年には サンフランシスコで ゴールデンゲート橋が開通するのである。

--------------------------------------------------------------------

★明石海峡架橋計画
当時の東洋一の吊り橋と ゴールデンゲート橋をはじめとする米国の長大橋の数々を比べれば、まだまだ 大きな格差があった。

 そんな時代ではあるが、将来を 見わたすような プランを 描いていた人もあった。
昭和十五年(1940年) 後に神戸市長になる原口忠次郎氏(その当時は内務省 神戸出張所所長)は 明石海峡へ長大橋を架ける構想を発表されている。

昭和十二年 内務省土木局は開門海峡架橋計画を報告したが 結局トンネルになった程の時代であって、関門海峡に比べ 途方もなく大きい 明石海峡など その当時 はたして 実現するかどうか分からないほどの 大きなプロジェクトであり、大きな空想としか見られない程度に まだまだ、一般の関心は低かった。

実際 明石海峡に橋が架けられるのは 昭和15年の計画から 58年後のことである。

スエズ運河(1869年10月17日開通した。全長160km。)、パナマ運河(1914年に開通)など 世界的なビックプロジェクトが その当時すでに 完成供用されていたが 以後 今日まで壮大なプロジェクトが 人類の壮大な発想を いかに人々が実現してきたか、 そのプロジェクトがその後 どんな使われ方をしてきたか、 その歴史を辿れば 大変参考になることばかりである。

今日 道路公団の債務返済などで「45年後」とか 云う人は多くいるが、その当時  このような時代を駆け抜けた大事業を見据えて 58年後のことを 着実に考えられるたのは ただただ 驚くばかりである。

そして 戦前 戦後 大きな時代の うねりの中にあっても 時代を見据えて 大きな プロジェクトの可能性を 技術的にも 経済的にも それなりに 研究し、 構想を いかにしたら実現できるか 努力していた 先駆者がいたことには  驚き ただ敬服する次第である。

昭和38年 原口氏は 完成したばかりのチェサピーク湾の連絡橋や 金門橋をはじめ  数多くの欧米諸国の 長大橋を訪れて 翌年 海外視察報告書を書かれた。


--------------------------------------------------------------------

「わたくしは、米国を訪れるたびに、金門橋を必ず見学することにしている。なぜならこの橋の技術的な興味とともに、サンフランシスコ湾の中心都市としてサンフランシスコ市が、生成発展していく様子に多大の関心を持っているからである。
(中略)
この湾には、さきにのべた、金門橋、サンフランシスコ・オークランド ベイ橋、リッチモンド・サンラファエル橋などが7橋もかかり、これに結びつく、8車線から12車線のハイウェイーが四通八達している。この様に整備された道路網があればこそ、サンフランシスコ市の対岸にはオークランド、サンノゼ、アラメダ、バークレー、リッチモンドなどの市が、目白押しに並んで、中心市のサンフランシスコをしのぐばかりの いんしん をみせている。

ひるがえって、大阪湾には、現在対岸を結ぶ橋は一つもかかっていない。そのうえ、周囲の道路にいたっては、およそ、近代的というには、あまりにも程遠いありさまである。阪神間の都市の連たんとめざましい繁栄にひきかえ、対岸の、淡路、四国のまったく対照的な状態の原因はまさしくこの点にあると思う。

日米の道路水準の開きを、単純に両国の経済力の差に帰することは、当を得ていないであろう。なぜなら、ワトキンスの言葉をかりれば「良い道路のない場合は、われわれが必要とする道路の建設費以上に、経費をかけている場合が多い」からである。

そして 「良い道路のない場合」ことは、単に一地域、一都市だけの繁栄にかかわる問題ではなく、それに結びつき、交流する地域や都市にとっても、同じ重要さをもっているからである。」

[長径間つり橋に関する海外視察報告書] 1964 原口忠次郎著


--------------------------------------------------------------------

★喜寿を迎えた今日 かつての東洋一の吊り橋は
平成元年 三好橋は 吊り橋からアーチ橋へ 改造され、何の変哲もない ローカル橋と して残っている。

下流には 池田大橋(国道32号 192号)や 池田へそっ湖橋(高速道 徳島自動車道) 四国中央橋(国道32号)などの橋が架かり 三好橋は旧国道となってしまった今では ひっそりした 佇まいでとりたてて 話題にもない 単なる生活橋となってしまっている。

喜寿 七七年経てしまうと こんなにも変わるのかと 時代の変遷を 深く感じる次第である。

今更に 感慨にふけると 共に、その当時 東洋一を 作り出すだけの 注目される様々な要素が 多分 この山間地にあったのだろうし、橋を 架ける 地域の人々の 熱い思い そのエネルギーが 当時 東洋一の吊り橋を 造る 原動力になったに違いない。

開通当時の 賑わいをみると そんな想いをめぐらせることができる。

今日 こうした 先人の 様々な 苦労の痕 は 橋のたもとのモニュメントから読みとることが出来るが、今後また 77年を経た 瀬戸内ベイエリアのや山間地の将来など は さてどうなるのか 興味のあるところである。

6-2004-09-04-07-16_8089.jpg

三好橋 喜寿を迎えて
かつての東洋一の橋 近況

--------------------------------------------------------------------
平成16年9月5日 第一版

--------------------------------------------------------------------
http://shumiyama.com/h24/yomoyama/touyo1.html
東洋一の吊り橋
--------------------------------------------------------------------

このアーカイブについて

このページには、2004年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2004年8月です。

次のアーカイブは2004年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.1.2