山里の最近のブログ記事


https://youtu.be/xEA2pTE9YHk
2015年夏 あわエコトイレ 剣山 山頂にオープン
冬季は 避難小屋にもなが、冬季は 携帯トイレのみ

冬季は 各自 携帯トイレ持参 使用後持ち帰り。

立派なトイレだが、冬季避難小屋となると 避難小屋スペースは狭く 大勢の宿泊は無理。

冬季 携帯トイレのみの使用の 携帯トイレ用 ブースを適切に運用し 火災予防をして いつもきれいに 維持するには 登山者のマナー 携帯トイレの普及などが 課題。

冬季 避難小屋としての利用のさいは きれいに使ってほしいものだ。

冬季使用のトラブルを防ぐためにも 今後 このトイレでの適切な 冬季運用マナー ルールなどが 守られて すえながく きれいに 使われてほしいものだ。



徳島県HPから引用


徳島県HPから引用


徳島県HPから引用


4月6日 公示 13日投票の 地方選挙

選挙のポスター掲示板は 立派な木製。

これも町村合併 選挙区なしで 
一気に33枠も必要になり
大きなポスター枠が必要になったことがはじまり。

今回 わずか一週間の期間だけの掲示板だが
ベニヤ合板ではない
立派な木材が 使われていて

上手く使えば
また4年後の次の選挙にも 
8年後、12年後の選挙でも
十分 使えると思う。


ただし 何箇所かの掲示板で見かけたのは
 材が 膨張して 湾曲したり 割れたり

木製家具製品など木工・木製品の扱いに慣れている方には
デリケートな木の扱い熟知されていると思うが、

この掲示板での 木材の使用方法は
 どこが 問題なのか?

木製の五重塔など十分吟味した材料を使っても 超長期的には 収縮して落ち着いてくるので それに対応できる仕組みをとっている。

ログハウスでも伸縮対応で窓枠などには 対応出来る 仕掛けをしている。

単純な 掲示板でも 膨張 伸縮 に対応する伸縮クリアランスを設けるとか

釘打ちの 止め方に問題はないか
木の性質を 十分 調査検討して欲しい。

木材の豊富な山間部の選挙。
国産材の木材の消費を増やす意図はわかるが
木の使い方を十分 検討して
単なる使い捨ての木材でなくて
木材の活用を 長く使えるようにして 
木の文化を育てるよう期待したい。


一週間後 思わぬ 展開になっていた。


立派な選挙 ポスター 木製掲示板は 撤去



4月5日 公示日前日 未明

立派な選挙 ポスター 木製掲示板は 撤去されていた


木製だった 選挙 ポスター 掲示板だが
湾曲 曲がりなど 問題があったようで


公示日 前日
木製でなく 化学製品へと 急遽 やり変えられていた。


未明 撤去され 枠だけ


夕方 看板ついていた


4月5日未明 


4月5日夕方


一週間前


割れ


曲がり


立派な木製掲示板 上手く使えば 何度も使用できたのに
 
使わず 撤去されたのは残念。


化学製品は 薄く 軽くできている。
 木製のほうが はるかに 品位があったと思うのだが。。

4-DSC05857.JPG
2013年1月 撮影

■徳島県 三好市 東祖谷 (旧 東祖谷山村)

厳しい 風雪に耐える 案山子。
案山子の里 名頃 平成25年1月撮影。
案山子製作者Aさんは それぞれの案山子に かつて集落に暮らしていた人や亡くなった家族をモデルにして その人を思い起こしながら 案山子をつくっているという。


 2006年 東祖谷山村など4町2村が合併し 三好市になった 当初 名頃地区は93名だったのが いまでは激減。
2013年(平成25年1月現在) 25世帯 51人の住民。

案山子には 山里の 多くの思い出が こめられている。


higasiiya1910-2010-1.gif


■大正九年(1920)~平成二十二年(2010)までの 旧 東祖谷山村(現在 三好市東祖谷)の人口推移

ピークの昭和30年国勢調査で人口は 8974人。以降 急減。平成22年調査で 1627人

 山里の集落が大いに 賑わったのは昭和三十年代頃なのだろうか

祖谷川 最上部に 昭和36年完成した名頃ダム。
昭和35年頃 ダム建設工事中は多くの建設従事者などで 祖谷川 再奥の集落名頃地区は大いに賑わっていたとか。

勿論そのころは 林業が山里の基幹産業。盛んな林業の うえに ダムの建設もかさなり とても活気があったという。

■ダム建設から 半世紀過ぎて その間 林業が 衰退して 近頃では 全国的に どこの山間地でも 地域の雇用を支える 主力産業は 土木建設業になっていった。

 全国の例と同じく この 四国山地の 奥深い山の中の三好市東祖谷(旧 東祖谷山村)では  林業が衰退し いまでは 数少ない地元の雇用を 土建業が になっているのが現状だ。

■土木工事でも 「京上トンネル」のような超大型工事は全国大手業者。

現在施工中の「下瀬トンネル」などの大型工事は徳島県内 特Aランク業者。

そのほかの  地域の、治山・治水・砂防・道路・河川などの ほとんどの土木工事を 東祖谷の地元建設業者がにない、衰退した林業にかわって
地域の産業雇用を支えてきた。

20130303-360-561.gif
東祖谷 土木工事 Aランク業者(徳島県)赤印 


■その地元 東祖谷 土木工事 Aランク業者(徳島県)が ここにきて 異変。

2012年 旧東祖谷山村内での 徳島県土木Aランク業者は10社。
(他に 規模のぐっと小さいBランク2社、Cランク3社)

だが 昨2012年11月「N1建設」、2013年2月「N2建設」、の東祖谷の土木Aランク業者(ともに名頃地区)2社が破綻。

長年続いた 公共土木工事の減少、地方経済の低迷が破産の要因らしい。

■ 破綻した2社の建設従事職員数は 計25名。2社の年間完成工事高は合計約4億円。

名頃集落で住人は51人。 2社25人分の雇用が失われる。

山間地の高齢者割合は高く、他地区から勤務していた方 他地区へ勤務する人を かりに勘案しても 居住人口の半分を占める雇用先が無くなってしまうのは とても深刻な事態だ。

林業の衰退に続いて 建設産業も衰退という ダブルパンチ。

林道を つくっても 林道沿いの間伐 枝打でさえ 行われないほど 衰退した林業の現状では 不要不急の いらぬ林道工事など無理に建設することなど
いまさら 財政的にもできない。

林道を つくることだけに意義があり、林業に けっして使われない林道をつくることなど できる時代ではない。

2-DSC05853.JPG

■このところ 旧 東祖谷山村内で やたら目につくのは間伐 枝打ちなど 手入れの なされない 放置林のほか、真新しい墓石、耕作放棄地、廃屋など、など。。。

児童数 減少で 名頃、菅生、落合、栃の瀬など 各小学校は下瀬の東祖谷小中学校へ統合され 廃校。


■シカよけ柵もあっても、人の数の いったい何倍もの数のシカが いるのだろうか?

人里から山稜まで おびただしい数のシカが増殖し とかく野生動物が跋扈しているのは 野生動物とはいえ かれらも人間の活動との関わりのなかで増減しているだけのこと。

もとをただせば、豊かな森を 拡大造林・皆伐・そして林価低迷で 再造林放棄、 まったく手入れせずに放置林にしてしまった人間の過去の罪業が、奥山の自然を荒らして、山域の林業を衰退させ 山里を苦境に陥れ さらに山村の衰退、 シカの大繁殖になって ブーメランのように跳ね返ってきている。

2-DSC05851.JPG

■高齢化率が ますます高まっていく 山間地の苦境は 全国的に共通な問題。

補助金で間伐しても 運び出すこともできず 切り捨て間伐。

 豊富な自然や 森林 資源という 目の前にある宝の山が せっかく あるのに 山村の活性化に なんとか生かせないものか。

問題は 複雑で 即効の特効薬などあるはずもない。

こうした 袋小路につまり とかく 苦しい時ほど 人間は目先の問題に目が向きやすく、近視眼的な見方で 物事を見て行動してしまい、「木見て 山見ず」になりやすいものだ。

目先でない 抜本的な 対策をもって 大局的な 考えをしていかないと いけないと思う。

1-DSC05840.JPG

長年 この山域を登らしてもらって 栄枯盛衰をみてきた 一登山者の立場として 名頃地区にかぎらず 山域の集落、かつての賑わいが 再び呼び戻ってくることを願うばかりだ。

1-DSC05847.JPG
名頃から見上げる 三嶺
2013年1月 撮影

雲の上の集落 十家

徳島県美馬郡 つるぎ町 切越

「雲の上の集落 十家」 立松和平氏が紹介

「日本一のんびりした交通手段 十家モノレール」

牽引されるトロッコはあるが 機関車がない。多分 上の集落にあるのだろう。

急勾配で登る モノレール

しっかりした 骨組みで組み立てられている。

道と クロスするとき 傾斜度がよくわかる。

上空高く 伸びているモノレール。

下から 直線で 一気に登る モノレール

道の上を 直上高架で 延びていく。

十分 クリアランスがあるので 下の道も 背をかがめることなく 歩ける 。

十家の 一端にでた 

耕作地の上を 高く 延びている モノレール。

以前は この お堂の 「駅」に常駐していたのだが 機関車がない。

あとで その理由がわかる。

まだ上にのびている モノレール

上から 下を見る 耕作地は 荒れている。

あった モノレール 。ここが終点駅。

立松和平氏 が立ち寄った おうちだった。

このモノレールで 立松和平氏 が登って来られ 大いに 喜んでおられたとのこと 

立松氏が亡くなられたのは ご存知だった。

十家の住人も ここ2?3年で急速に 亡くなられたり  山を降りたりして 

かつて 30戸あった集落も いまでは ここだけ。

多くの住民がいた頃は 集落の中心である「お堂」のところまで 荷物をとりに行っていたが

いま 皆 いなくなったので 吾家前に専用駅ができたのだった。

ひとがいなくなるのを みてか 農作物は 猪と鹿に すべて 荒らされてしまい 収穫できないとのこと。

つい何年か前 矢筈 黒笠 津志 縦走の帰途 通り抜けたときは

畑も あり 多くの家で 人々が 生活していたのだが。。。。

モノレールの集落

片川周回コース(平成18年5月4日 )(平成18年5月20日)

終点駅の その先にも モノレールは続いていた。ここが本当の終着駅。

モノレールを見学後 天候はいまいちだが 津志獄に 向かう。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち山里カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは小島烏水です。

次のカテゴリは山小屋です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.1.2