自分の山歩きの最近のブログ記事


https://youtu.be/RLmSFwJhB_o

いやしの温泉郷近くにある 菅生谷 第四堰堤。

三嶺に源がある菅生谷川。

三嶺登山の折に 堰堤の流れをみてみると
毎回 流れかた は 異なっていて、二度と同じ 流れが ない。

さまざまな 水の流れに 春夏秋冬の 天気、風、空、大地、木々の植生。動植物の様子などを さまざまに 組み合わせてみれば 山の表情は まさに無限の組み合わせができる。

無限の組み合わせの なかの ほんの すこし しか見ていないのに ややもすれば 山を十分 知った気になり もう 登り尽くしたと はやとちりしてしまう。

が、見れる自然は ごく一部であって 本当に 山の奥深さは とてつもなく 奥ふかく 足繁く 通い続けても山並みは 毎回 違った表情をみせてくれる。

おごることなく 謙虚に山に接するこころを持ち続けていきたい。

「山登りとは 身の丈の範囲で いかに苦労して 山を登るか?」
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1963年 夏 剣山

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楽して登った山ほど 印象は薄く
苦労して登った山こそ 記憶に強く残る
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よくよく ふりかえってみれば 楽して 登った山ほど 後で振り返ってみて 印象は薄い。

苦労して登った山のほうが 記憶に強く焼きついて いまだに印象 強く残っている。

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昭和38年(1963年)夏、 はじめての剣山
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1963年 終点 「滝の宮」

昭和38年(1963年)夏、 はじめての剣山(1955)登山のコースは 穴吹 コリトリ 一の森 剣山 見ノ越 夫婦池 剣橋だった。

穴吹駅からバスに乗り、終点 「滝の宮」から歩いた。

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1963年 コリトリ

その当時の 剣山は まだ 道路がなくて 下のバス終点の集落から コリトリまで 14㎞ えんえんと 歩き アプローチに かなり苦労したが いまは 標高1400m 見ノ越まで 車ではいれるし、登山リフトにも乗ると標高1700mまで いとも 簡単に登れるようになっている。

 道路ができて アプローチが短縮され 楽に山に歩きができるなど 便利になって、 一見 良さそうなのだが。。。

長いアプローチをふくめて 麓から じっくり辿って 山を 楽しむという観点では 交通機関が 便利になってしまうと 山の楽しさの 大事な部分を削いで 失ってしまう危険がでてくる。

昔は 山の道具・装備・衣類なども 低性能で 重たく 冷たく 嵩張ったが 今は高性能で 小さく 軽くて 快適になった。

が ずばり どちらが よかったのか 考えてみれば 悪い装備で 下から長いアプローチをへて 重荷で 苦労して のぼるほうが いまのように楽して登るより もっと もっと 山を楽しめたのではと思う。

良い装備に慣れて くるまで上まで行って 楽をすれば 昔 苦労したのに比べ なにかを 失っている のではないだろうか。

50年以上前の 剣山登山を いま ふりかえると その当時 本当に 苦労して登っただけに 記憶に強く焼きついて いまだに印象 強く残っている。

反対に 数多く 登っていても 楽して 登った 山などは 後で振り返ってみれば 印象は とても薄い。

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1963年 剣山 測候所

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「僕は何も回顧趣味に溺れるわけではない。
近代科学の恩恵にあずかぬことは馬鹿げている。
しかしヴァレリーが、近代の人間の精神的怠慢は科学の発達による、という意味のことを言っていたことを思い出す。
スピードとイージーが容易く手に入る結果われわれはもはや苦労して得ようとはしなくなった。
手軽な翻訳本が出てきたために誰も字引を引き困難して原著に就くものがなくなったようなものである。
精神の滋養となるものはそういう困難の中に存するのだが。」

深田久弥
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つまり 山は苦労して 登れば登るほど 味わい深く 楽しめるものなのだろう。

そういう意味で 四国八十八カ所を 車でスルーとと 回るより じっくり自分の足で 苦労して 歩きとうす 歩き遍路のほうが より印象深い 遍路旅を満喫できるのと よく似ているかも?

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一つ山を登れば また 次の山が 出てくる
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もとより 山のよさなど はじめは なんだか よく わからないのだが 苦労して 山に登っているうちに 山のよさに すこしづつ 気づき 山を味わうこともできるようになる。

山のよさに すこしづつ 気づき はじめると、 山のよさを 求めて また山へ、またひとつ 山に 登れば また 次の 山にと 次々に 苦労して のぼりたくなる。

今回 楽勝ならば 次は もうすこし苦労して 辛勝の山に のぼりたい。

山に のぼれば のぼるほど 次の山が 出てくる。

すこしでも 高い山 少しでも 難しい山。すこしでも難しい時期 難しいルート。雪 氷 岩 沢。

エンドレスに 際限なくひろがっていく 次の山。次の山。次の山。。。。

これは 人間の欲というものだろうか?

そうした人間の どんな欲でも 山は かなえてくれるのだが
人間の欲は 所詮 はかなく 浅く軽薄だ。

それ以上に 山の 奥行きは とてつもなく 深い。

山のよさは 奥深く 人間の欲だけでは どんなに頑張っても そう簡単には 山のよさの すべてを 味わえるものではない。

 短い人生のうちで 登れる山など しょせん 点と線で ごく 小さな範囲内でしかなく ほんとうに ごく限られた 小さな中で 小さく うごめくだけなのだ。

そうしたことが 頭では わかっていても、 それでも 次から次に でてくる 次の山。次の山。

もう とても とても 登りつくす ことなど できないと まずは 観念しなくてはいけない。

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謙虚さ
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だいいち 欲のままに 山に登り 身の丈に合わなければ 山で でくわす リスクは ふえていって 身の危険にさらされ 危ない場面に でくわすことも 多くなってくる。

「次の山」を登りつくしていくと そのうち 謙虚さがなくなり 傲慢さが 目につくようになれば 時には きつい しっぺ返しの 痛い目に あうことも あるかもしれない。

痛い目に あわないようにするには まず 謙虚に 足元をみつめて 自分の身の丈にあうような 山の 登り方を考えてみることが大事だ。

そのさい 流行 とか ほかの人の 動きに 惑わされずに、
ひと それぞれ 山歩きの楽しみ方があるだろう。
ほかの方々は また違った 山ののぼり方が ある ことを 忘れずに!

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「山のぼりとは 身の丈の範囲で いかに苦労して 山を のぼるか?」

結論 自分の山を探す
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どんなに頑張っても 人が登れる山は ごく限られた 小範囲の点と線。

そのなかで せいぜい 山を ながく より深く 楽しむには

「山のぼりとは 身の丈の範囲で いかに苦労して 山を のぼるか?」

を 考えて、 考えて、

 「あせらず、 あわてず、 あなどらず」、

 自分の山を 探して いきたい。


三嶺(1893)山頂近くにある 無人の避難小屋 三嶺ヒュッテ

冬場は出入口が雪に覆われることが多い。


2015年1月17日撮影

冬の三嶺ヒュッテ 出入口 

2015年1月17日 三嶺ヒュッテに立ち寄ると

三嶺ヒュッテの出入口の内開き戸がきちんと締まっていなくて
少し隙間があり 雪が吹き込んでいる

出入口 敷居付近に 氷化した雪片が固まっていて
出入口の戸に 少し隙間が あった 

吹雪の雪の吹込みは凄いもので
ほんのすこしの 隙間でも 容赦なく雪が入り込んでいた。

除雪は時間もかかり 面倒だが
時間をかけて 除雪して中に入り


2015年1月17日撮影

 敷居の氷結部分を取り除き キチンと閉まるようにし 吹きこんだ雪を取り除いた。

内側の パッキンにあったっている 雪片 氷片があって きちんと締まらない状態。


2014年3月15日の写真

内側の パッキンにあったっている 雪片 氷片などを 綺麗に取り除かないと きちんと締まらない。
特に 敷居部分の 氷片に 注意!!


やはり 出入口が埋まっていると 雪の後片付けなど とても時間がかかる。


冬期 避難小屋を利用する 登山者は 戸の開閉にくれぐれも ご注意。


2014年2月16日撮影

冬山登山者が増えてくると 雪国の山小屋のように 雪に埋まらないよう出入口に工夫をこらした 冬期専用の出入口が 必要になるかも?

2015年1月17日 除雪して中にはいり 小屋の中に滞在している ほんの僅かな 時間の間にも
ヒュッテから 出ようとしたら 出入口には もう そこそこの 雪がしっかり溜まってきていた。
風雪時の 吹き溜まりは 本当に凄い、雪庇も発達するはずだ。


冬場の日帰り山行では 時間が貴重だ。
出入口除雪に 時間かけ 風のない 小屋なかで 長居する 時間があるのなら
より長い 時間 山頂などで 冬の風雪 を楽しんだほうが 雪山を より楽しめると 私には思えるのだが。。。


このような場所で 長居するより 山頂などで 風雪に吹かれながら 雪山を楽しむほうが 私には向いている。


2015年1月17日 三嶺山頂
この日は 山頂滞在30分であったが ヒュッテで44分も費やす時間 より長く風雪を楽しんだほうが 冬山を もっと満喫でき ずっと良かったはずだ。
 

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2013年12月29日 大雪の三嶺 のぼり途中。いまラッセルした 自分のトレースをふりかえり 自己診断。


 熟達した猟師が 雪面に残された野生動物の足跡を見て 即座に その動物の きめこまかな情報を得るように、登山者も自分でラッセルしたトレースを観察することで 多くのことを学ぶことができる。

雪面に残された 自分のトレースは いろいろな メッセージを伝えてくれるのだ。

気持ちが焦っていないか?迷いはないか? 腰を落ち着けて 歩んでいるか、どうか?
ペースは乱れていないか?コンスタントに 一定のリズムで ラッセルしているか。などなど。

要するに 実力以上に 無理をしていないか?

冷静に客観的に 多くの貴重な教示を雪面のトレース跡が あたえてくれるのだ。

山中で ひとり単独でいても きわめて明快に 簡単に 検証できるのは、ありがたいことだ。

トレースを分析した、自己診断の結果は、 ややペースを落としているせいか 深雪でも まだ まだ 余力十分。まったく快調なペースの登高でマズマズ。

そろそろ、三嶺山頂も射程距離の範囲に入ってきた。

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茗渓堂の「山日記 1965 」 巻末に書かれている 名言。

「私は幾度か山日記をつけてみようとした。がその日の出来事を書こうとすると、その時は何だか馬鹿らしいような気がした。でも一寸した つまらぬことでも書きとめておくと、あとでその時のことを思い返す時、大へん役にたつものだ。」シプトン




「くもとり号」


■古い記録を 整理していたら
昭和41年(1966年) 6月5日 の山行記録がでてきた。

三峰口 三峰ロープウェイから雲取山 石尾根経由 氷川(現在の 奥多摩駅)

まだ 若すぎる年頃、同じ年のM君との 2人での 山行。

今だったら 親が子供を連れて 子連れ登山などあるが 
その当時 幼い年頃の同じ年 二人だけで 計画・立案・実行した山行。

それにしても 幼い同士 怖いもの知らずで、よく こんな山行をしたものだと いまさらながら 感心。

■山登りに かぎれば やや早熟? というより その当時は なにごとにも 若くして チャレンジすることが 求められる 時代背景があったのだろう。

何事にも前向きに 若い人が のびのびと好きな事が出来る そんな 古き佳き時代だったのだろう。

■ 昭和31年の日本隊のマナスル初登頂をきっかけに大きく火がついたような登山ブームがおこってから10年余たった昭和41年当時には 登山は ブームから いよいよ本格的に 大きく定着し発展していた。

昨今、中高年齢層が主体となっているが、昭和41年 どこの 山々も 若者 ばかりで 占められて 山をのぼるのは 若い人 主体の時代であった。

幼い 私など登山ブームの流れで 知らぬ間に この潮流の中に 入っていったのだった。
■その昔 東洋一のロープウェイだった三峰ロープウェイも 今は廃止。

熊谷経由秩父鉄道だったのが 池袋から西武線もでき西武秩父へ。三峰神社へは 自動車道ができ 西武秩父からバスで神社まで登れるようになっている。

それに 雲取山ピークハントだけなら鴨沢から往復するのが一般的なのだろう。

■山は 時代とともに アプローチも便利になり 登り方も 変わって 山小屋も大きく立派になり 山小屋泊まりで 縦走する人もいるだろう。

いまと 昔と 比べてみて 山自体かわってないところもあるかもしれない。

が 登山者がどう登るかという点では より不便で より苦労の多い 昔のほうが よりチャレンジ的な要素が多く ワクワクした山行が楽しめた のは確かだ。

■三峰神社 雲取山 石尾根 氷川。 確かに 長い縦走路だ。

若くても ロングコースを厭わず チャレンジする この時の山行スタイルは 時代背景は変わっても その後の 現在に至る 私の山行スタイルにも 様々な形で引き継がれていくことにもなっている。



 この山行記録の拙い字句を みて 当時の記憶が あざやかに よみがえってきた。
(カメラは携行していないので写真なし)



■「くもとり号」

上野駅 始発 高崎線経由 秩父鉄道「三峰口」行

上野20時38分発

熊谷からは ガラガラ。寝ず。(一睡もせず)

三峰口 着 23:20

バスが まっていて すぐ乗り すぐ発車 40円

大輪 着 23:45
ここでも 少し雨が降っていた

5-6分 歩いて ロープウェイ駅につく

ロープウェイ 発車 220円高すぎる

山頂駅 24:00

大体 40人くらい 山頂駅に着く。

3-4のパーティーは 出発準備をしていた。

小雨

前に いく人の あとに ついて神社に向かった。道が少し 複雑だった。

24:30 神社の水飲み場でビバーク。寒い。小雨に濡れたためか。

風が強くなって 風下の 家の軒下へ移る。

結局 寝られたものじゃなかった。
他のパーティーは全部いってしまった。


■三峰神社 2:35 出発。ヘッドランプ無しで歩く。小雨は止んでいた。
月夜で明るいと思ってしばらく歩いたが やはり ヘッドランプだす。

道は 明瞭である。

妙法岳 分岐 3:10

霧藻ヶ峰 (4:00-4:15)だいぶ明るくなってきた。パッキングし直す。

お清平 4:25

 すばらしい 夜明け

前白岩5:00

わりと きつい登り途中 15分休憩

白岩山5:50
芋の木ドッケ 6:00
 だらだら道
大ダワ (6:25-7:20)朝食

■雲取山 山頂 (7:55-8:40)
しばらく休憩

雲取山荘9:00
 水筒に水つめる

石尾根に向かう 長いだらだら道

10:50-11:30 昼食

六ツ石13:10 きたない売店

途中 2回 休憩

■氷川着 16:00

駅に近づくにつれ 山道を 歩いていく 都会着の 地元の方に 追い越されていった。



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かつて 東洋一 今 廃止



この連休 大渋滞のところもあったようだ。



https://twitter.com/mt_iwao/status/247218717518356480

          岩男さん 提供


「槍ヶ岳」なんだ これは!!

都会の雑踏がそのまま 山中へ。
異常な光景だ。

このような現象を いったい なんと いっていいんだろうか?

もっと いい山々が 他に たくさんあるのに。
なぜ 特定の山に こうも 集中するのだろうか?

著名山など特定の山への情報の 偏り?

たしか 深田久弥 氏は 山の混雑は 大嫌いと言っていた。


「------流行の山ができて、みんなそこへ押し寄せる。
人のあとについて行くのは易しいが、自分で道を切り開いて行くには努力がいる。真似によらず、独創的な山登りをする人が少なくなった。」 「山岳遍歴」 深田久弥著


こうした 混雑を よそに、 2012年9月15日 自宅から片道2時間少々で登山口へアプローチできる 軽い 日帰りで、 四国 剣山(百名山)と 三嶺(二百名山) を結ぶ縦走路を楽しんだ。

この日 剣山 見ノ越 登山口から 三嶺下山の名頃 駐車場までに 山中で出会った登山者は合計8名。

連休混雑とは 全く無縁の縦走路。

つくづく 四国の山のよさが 改めて よくわかる。
 
これだけ 恵まれた 環境で 山に登れるのを 深く 感謝。

四国の山々は 本当に いい。

山を完全に味わう

山を完全に味わう




「 山を完全に味わう

 山を完全に味わうということは
そんなに ムズカシイことなのだろうか?


・・・そう たしかに

その山を眺めているだけでは 無理かも知れない

・・・だからおれたちは氷の斜面を攀じ
岩壁の棚に泊まりながら
その山嶺に達しようと

努力しているのだが・・・ 」

『白い城砦』芳野満彦 著 1970年 あかね書房




山歩きを 貪欲に 楽しむ極意は 山を登るのに いかに 苦労して登るか どうかにある。

快晴無風の いい天気でトレース のしっかりついた コースを 人の痕跡のとおりに 登る 雪山 もよいが、
それより厳寒の風雪のなか 底なしラッセル、低視程でルートファインディング に苦労して 登るほうが  
同じ雪山を登るのでも 10倍以上に 山登りを貪欲に楽しみことができる。

たとえ 同じコースを登っても、より すくない労力で 楽して 登れば 苦労して登るのに 比べれば、えられる感動は とても すくなくなる。

できるだけ 多くの労苦をして 登ってこそ 山登りの楽しさを より 深く味わえるというものだ。

このことは 便利な 交通機関を使わず わざわざ 歩き遍路で巡礼するのにも よく似ている。

ただし 山のなかは 危険が いっぱい。

だから 山の危険を十分 認識し、自分の技量 体力 経験など勘案して、 
自分の 登るスタイルをきめ 装備、 登るルート、コース の選択も慎重に判断し 
綿密に計画を練り上げて、自分が 安全に登山できる 範囲内で山に登らなくてはいけない。

あくまで自分の範囲内で より 多くの 苦労をして 登ることで より多くの 感動を えられる。

振り返ってみれば いにしえから 山に登る者は 山のたのしさを求め いかに苦労して登るかに こだわってきた。

簡単には登れない より 難しいバリエーションを 困難を 求めて、すこしでも 難易度を高め 続けて きたのも、山を もっと もっと 貪欲に楽しもうと 努力し 続けてきたからだろう。

だが
ひとつ 山を こえれば また 山がある。
さらに その先にも やま また やま。
また その先にも さらに やまなみが連なっている。

一山越えて また一山


「 山なみ

見知らぬ山が
幾重にも 幾重にも
遠く連なる

白い大波のようだ

僕の瞳は まるで
土管のように
頭の中へ筒ぬけだ

山 山 また山
白い大きな波
その うねり

それらが
日本アルプスでもヒマラヤでも
僕は いっこうにかまわない

その太古ながらの
静謐な白い波 」

『山靴の音』 芳野満彦 著

36年前の 冬の石鎚

冬の石鎚で思い出に残るのは

昭和50年2月9日 高瀑渓谷からの 石鎚山 日帰り。

今考えても よく 歩いたなと思う。

古い山日記を ひもといて みる。

 

36年前の 冬の石鎚の登山記録



------------------------------------ 石鎚山(1982) 高瀑渓より往復 -------------------------------


【日時】昭和50年 1975年2月9日

 【天候】 晴れ

 【コース】 石鎚山 高瀑渓より 

 【同行者】なし 単独

 【記録】

前夜 トンネルの先の飯場跡まで車で入る。

7:30出発---11:00稜線 ---13:00弥山頂上---14:00稜線 下降点---16:30到着

高瀑渓からのルートは トレースなし。 この時の高瀑は ほぼ結氷していたが わずかに水流も。

高瀑の捲道が悪かった。

弥山から天狗岳へも往復。

山頂付近はロープウェイ利用の登山者がたくさんいた。

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【参照】

■気象庁 剣山山頂測候所のデータによると1975年の剣山の積雪は

1975年1月22日 73cm 1975年2月23日 127cm

http://shumiyama.com/h24/kisho/turugisan-1971-1980.html

http://shumiyama.com/h24/kisho/turugisan-kisho.html

1975年 石鎚山の気象観測データは ないが、剣山の気象データから勘案すれば この年、特に少ない積雪量でもなかったようだ。

■ロープウェイ は昭和43年 1968年8月運行開始 ■石鎚スカイライン土小屋は昭和45年 1970年開設

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はじめての石鎚

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【はじめての石鎚】
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石鎚山。 はじめての登頂は昭和39年夏。


ロープウェイ 石鎚スカイライン 瓶が森林道など ない時代。

東之川から 瓶が森に登り 幕営2泊で 石鎚まで縦走し 面河に下山。


面河から 未舗装の山道を砂埃を あげるバスに揺られ


峠を越え、道後平野に降り しばらくして やっと舗装道路。


松山駅で汽車を待つ間に 駅前の食堂で満腹。

今 考えても 若い頃は 元気で よく歩いたなと つくづく感心。


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大雪、敗退の 2011年1月16日

敗退して改めて 雪山の難さの 第一は まずアプローチにあるのが再認識できた。

ふだん 自動車で 標高の高いところにある 上の登山口まで 自動車で 一気に 登ってしまう 便利さに慣れきって しまっていると、 人間 どうしても 楽なほうに流れてしまう。

思いおこすと その昔の山歩きでは 久保から 標高差1200m以上を 当然のように 何度も 登っていた天狗塚(1812)。

それが いつの間に 西山林道が延びて 林道を使って 上の登山口から登ることになってしまい、標高差は半分、久保から西山林道までの旧 登山道は すたれた。

いまでは わざわざ苦労して下から旧道の登山道を登ることなどなくなってしまった。

だが 大雪で 除雪がないと 下の登山口から林道を歩くか 下から旧登山道歩くか。

1月16日の状態だと どちらをとっても それ相応に ラッセルがあり、 それなら距離の短いほうがいいだろうというので旧道を 選択をした。

要は 昔 ここから登っていた時代に戻っただけのこと。
山に登るには これしかないという 昔に戻っただけのこと。

みわたせば、冬場も 賑わうのも除雪の行き届いたアプローチの とても楽な一部の山だ。

本来の アプローチの長い雪山コースは だいたい敬遠される。

こうしたアプローチの困難さを 腰をすえて 克服するところに雪山のよさがあるのだが、敗退して 結果的に このことが実感できたのも1月16日の山だった。

やはり 昔の人のほうが よくあるいた


「乗合自動車は、たいてい稲核までしか行かない」
加藤文太郎

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