山の本の最近のブログ記事

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『地球千年紀行』月尾嘉男 著 清水弘文堂書房 2012年4月

世界各地の先住民族を訪ね歩いて 研究されてきた 月尾嘉男 東京大学名誉教授。

月尾氏は 各地の先住民族が いまでも保持し続けている叡智に注目。

一枚の三角帆だけの 貧弱な小舟で 地図も磁石も なしに ミクロネシア諸島の 島と島の間だけでなく 遠くハワイまでの 太平洋の大海原を しっかりと 的確にナビゲーションして 進んでいく 先住民族。

やたら GPSなどの電子機器に頼る現代人とは違い、先住民族は 天体 星座をもとに 進むべき進路を的確に 割り出していく 優れた航海能力を保持しているのである。

また 気象条件の極めて厳しい 極北の極寒地でも しっかり狩猟しながら 移動し 自立した生活を営むことができる先住民族。

かれら 先住民族は みな 能力は高く 叡智は素晴らしいものがあると 月尾氏は記述している。

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「現代の人間の大半は時計がなければ時間を確認することができない。

地図がなければ付近に河川があることを推測できない。
植物図鑑がなければ毒草を識別することができないという状態にある。

しかし先住民族は太陽の角度や小鳥の鳴声で時間を推測し、鋭敏な嗅覚や聴覚で河川の存在を察知し、長年の経験によって一目で毒草を見分けるなどの能力がある。

それは大半の現代人が技術という手段と交換に喪失していった能力を、先住民族は現在にまで維持してきたということである。」

『地球千年紀行』月尾嘉男 著 清水弘文堂書房 2012年4月
 
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一方 現代の人間は 。

『サバイバル登山家』を標榜している 現代の登山家でさえ 先住民族の高い能力比べれば、あきらかに退化している といわざるをえない状態だ。

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『サバイバル登山家』服部文祥 著 みすず書房 2006

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「山菜キノコ図鑑を持ってきていた。良質の紙を使ったカラー図鑑はひときわ重く、装備のなかでも異彩を放っていた。」
『サバイバル登山家』服部文祥 著 みすず書房 2006

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『ツンドラ・サバイバル』服部文祥 著 みすず書房 2015

北極圏のツンドラ地帯を紀行した 服部文祥氏

服部氏のツンドラ・サバイバルの旅には 極北の先住民族である 遊牧民・狩猟ハンターが同行した。

極地で 長く生活している 先住民族は 現代人とは違う やはり凄い能力を持っていて 服部氏は この先住民族から 実に 多くのことを学んでいる。

先住民族 が 古くから 自然の中で 鍛えられて 蓄積され 保持されてきた叡智 能力には とても素晴らしいものがあると つくづく思う。

先住民族に比べたら 現代の登山者は やはり退化した能力と 浅薄な知識しかもってない。

現代の登山者は みずからの能力が いかに退化して不足しているのかを 謙虚に 悟らなければいけないのである。

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『山岳遭難は自分ごと 「まさか」のためのセルフレスキュー講座』
北島英明 著 2017年3月10日初版一刷 山と溪谷社

今般 山と溪谷社から出版された 徳島 ご出身の 北島英明 様の著書。

「本書には 私の 知識 経験 熱い思いが 詰まっています。」北島英明 著

そのことばの通り、北島様の 都岳連遭難救助隊長など 永年 遭難対策にかかわってきた数々の経験から 事故防止で こうすれば 助かる、どんな場合も 絶対に行方不明になるな など、熱い思いが ビンビンと伝わってきます。

なかでも ごく最近の遭難事例をもとに 多くの示唆に富んだ教訓を記述されています。

登山は まず山にはいるまえの 計画準備の段階からはじまっていること。

 無理のない計画で 準備 装備はしっかり できているか。

 山行中に気をつけることと、 万が一 緊急事態になった時の対応方法 搬送 救急方法 ビバーク方法 などなど。

とくに 「自分の実力の把握」について 著者は 厳しく指摘。

まず謙虚に 自分の実力を正確 把握すること。

実力以上に 背伸びした 山行をしていないか?

本書に記述されている「自分の実力の把握」

ブログや ヤマレコ YAMAPなどにも投稿している 私なども いまいちど 自戒を込めて 背伸びしていないか もっと 自分の実力を冷静に判断していかなくては いけないな と つくづく 反省した 次第だ。

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「 いうまでもないことだが、単独登山、積雪期登山、夜間登山は、それぞれにそれぞれのリスクがある。ましてこの3つを同時に行えば、当然、リスクはいっそう高くなる。

遭難者は弾丸登山を標榜して記録をヤマレコに投稿し、彼を信奉する多数のフォロワーを抱えていた。そのフォロワーに対し、「危険な登山をしないように」と発信しながら、自分は非常にリスキーな山行を重ねていた。それはおそらく、本人に「自分ってすごいでしょう」ということをほかの人にアピールしたい思いがあったからではないだろうか。

単独で積雪期登山をするのであれば、この事故現場となったクサリ場くらい、確実なアイゼンワークとピッケルワークで安全に通過していなければならないところだ。

長時間の運転と夜間登山の疲れもあっただろうが、それもこれも含めたものが自分の実力というものである。

その実力を見極められず、フォロワーへのアピールを優先させたのであれば、本末転倒というしかない。

近年は「冒険的登山」が広まっている。たしかに登山は冒険であるが、安全は自分で確保するのが大前提であり、自分の実力に見合わない山に登ろうとするのは、ただの無謀登山でしかない。

大事なのは、自分の実力を正確に把握し、それに見合った山やコースを選ぶこと。

見栄を張ったり自慢をするために命を落としてしまったのでは、残された家族らが浮かばれない。」

『山岳遭難は自分ごと 「まさか」のためのセルフレスキュー講座』
北島英明 著 2017年3月10日初版一刷 山と溪谷社

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『「アルプ」の時代』 山口耀久 著 初版 2013年10月15日 山と溪谷社

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「日本各地にひろがった、こうしたすざましい山地の乱開発は、登山者の心にも変化をおよぼさずにはいなかった。それがどう変わったかは、ひと口に言うのはむずかしい。

しかし 登山とは ほんらい自然そのものの中に分け入る行為であり、したがって反文明的な要素をふくむものだとすれば、機械の便益にたよることは登山から本質的な重要部分が失われるのを避けれない。登山のもつ精神性の希薄化をまねくともいえようか。」『「アルプ」の時代』山口耀久 著 307ページ
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『「アルプ」の時代』 山口耀久 著
昭和58年(1983年)300号をもって 終刊した 月刊誌「アルプ」(1958-1983)。
「アルプ」は ほかの商業誌とは 全く ちがう 独特の風格を備えていた。

それは 今思えば 高い精神性の登山を志した そうそうたる 執筆者陣の顔ぶれ から 醸し出す 雰囲気から えられたものだったといえる。

この アルプの時代 (1958年-1983年) 山を登りだして どんどん 山の面白さにとりつかれ のめりこんでいった 私のような世代は、 多くの「アルプ」執筆者の方々の 数々の 文章を つうじて こうした 登山のもつ精神性を 感じることができた。

山のぼり にとって アルプの時代とは ほんとうに 幸せな 時代だった。

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「深田さんはあまり人の行かない静かな山が好きだった」『「アルプ」の時代』 山口耀久 著 185ページ
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いま みわたせば なにか 本来の登山の 方向とはちがう 傾向がやたら 目につく。

相変わらずつづく 著名山ブームなど 本来の 深田久弥 氏の意図とは ちがい、商業主義に踊らされている面が大きい のではないのだろうか?

スタンプラリーで 次から次と ただ山頂だけを目指して あわただしく  登ってしまうと 山中で えられる 感動が より少なくなってしまうのではないだろうか。

それより じっくり 腰を落ち着けて、山に向かうほうが はるかに 多くのものが見えてくると おもうのだが。。。

 いい山の 本の書き手が すくなくなった。

現今 本が出ない 本が売れない など 書籍 出版社 雑誌 業界の縮小がつづき、山の雑誌では、『山と溪谷』『岳人』も 経営が変わった。

「アルプの時代」からみれば
 まさに「登山のもつ精神性が希薄化」しているのを感じざるをえない。

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「「アルプ」は創刊以来 変わらぬ "山との心の対話"の姿勢を保ちつづけたことになる。」『「アルプ」の時代』 山口耀久 著 310ページ
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『旅行用心集』八隅蘆庵著 文化7年(1810)

「道中は自由をせんと思ふまし ふ自由せんとすれば 自ゆふぞ」

(旅の間は思うままにしようと思ってはいけない。不自由を当たり前と思えばこそ 思うように楽しめるのだ。)

現代訳『旅行用心集』八隅蘆庵著
桜井正信監訳 八坂書房 2001年

北は津軽 南部 南は薩摩 大隅 日向までの 温泉案内もある。

その当時の旅は 馬や籠もあるが
もっぱら 歩きが基本。

長距離を歩く旅の 心構えなど きちんと書かれている。

今日 数多く出版されている 登山入門書よりも もっと 含蓄のある ことが たくさん書かれていて とても参考になる。

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(電子)書棚にたまってきた 週刊ヤマケイ。


毎週木曜日発行。

 タイムリーな 山のコンデションなどが よくわかる。

「山の便利帳2013」も電子化されて とても便利。

今後 どんなに増えても 電子書籍なので かさばらない のは 電子書籍の強みだ。


■創刊準備号 01-04

 2012年7月19日の創刊準備号 01から
 2012年9月6日号 04 まで

■創刊号 2012年9月20日から

 2012年12月27日号 通巻15号まで


■ついでに 『山と渓谷』2013年1月号付録 「山の便利帳2013」も 書棚に。

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2007年12月17日 日本経済新聞 春秋

冬山に灼熱の太陽が輝き 衰えぬ不屈の魂が躍動する。


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「凍傷にやられたことを自覚しながらも、一晩中 吹雪と強風にさいなまれ、疲れ果ててなんらなす術もなかった。
 この寒気と疲労。それに空腹と凍傷、眠気・・・こんな経験は何度かあるが、今度のように大きな登攀をなしとげた後のビバークだけに、僕はどんな拷問より酷烈に感じた。
ビバークというより「遭難」という方に近い状態だったろう。
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1957年3月15日午前10時半、四、五のコルで四十八時間ぶりにザイルをわれわれ四人はといた。
ドンちゃんと ピンちゃんは自分の手袋やザイルが、凍傷のため脱いだり、解いたりすることができなかった。
凍ったような白い手の名古屋の人たちに僕は何度も何度も握手を求めた。」
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「憧憬の氷壁 前穂高四峰正面岸壁」
『山靴の音』芳野満彦 著



不屈の魂 の芳野満彦氏。2012年。

『絶対に死なない』ドンちゃん
も2011年。

ともに 亡くなられた。合掌。



「一面、雪と氷と岩の世界。自分以外には誰一人としてこの世に存在しないかのような孤独感。心細さにふと襲われる。ここで諦めて少しでも気を緩めたら、待っていましたばかりに、山の神は我々四人の魂をすくいとってしまうだろう。
そうはさせるものか、必ず生きて戻ってやる!
当時、日本でもっともむずかしいと言われていた岩壁の初登攀に挑み、最難関である大ハングはすでに越えたのだ。あとは無事に生きて帰るだけ。我々の中の「生きようとする力」は、数々の敵と一晩中闘いつづけていた。」


 『絶対に死なない』加藤幸彦著2005年 講談社

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「 山なみ

見知らぬ山が
幾重にも 幾重にも
遠く連なる

白い大波のようだ

僕の瞳は まるで
土管のように
頭の中へ筒ぬけだ

山 山 また山
白い大きな波
その うねり

それらが
日本アルプスでもヒマラヤでも
僕は いっこうにかまわない

その太古ながらの
静謐な白い波 」

『山靴の音』 芳野満彦 著





『山靴の音』

耳を澄ましてごらん
・・・ほら  ね  ね・・・
何処からか
古い記憶の
山靴の音が
聴こえてくる
ほら 僕の全身に
滲透(しみ)わたるように・・・・・


芳野満彦 氏
ご冥福をお祈りします。

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『日本百名山』深田久弥著 1964
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4昔前

『日本百名山』深田久弥著 1964

■ 深田久弥氏は38年前 茅ガ岳登山中に亡くなられたが、その数年前、講演会で深田氏の山の話を じかに聴いたことがあった。

十年一昔でいえば、四昔も 前のことであるが いまだに そのときの 氏の話しぶりや表情など 印象深く 覚えている。

■話を聞いた当時 『日本百名山』という本は 既に出版されていて 出回っていたのだが、その頃は 今日のいわゆる「著名山ブーム」もなかった。

まだ 若かった 私には 「日本百名山」など とりたてて興味もなく、要するに「日本百名山」とは 深田氏が登って書いた 山岳紀行文を集めた本であって、ただそれだけのこととして、特に気にも とめていなかった。

■深田久弥著『日本百名山』が その後 著名山ブームのきっかけをつくり、 昨今では 猫も杓子も 「百名山」「百名山」というような いわゆる著名山ブーム の隆盛につながっていくことになるとは 講演を聞いた 四十年前には 全く 想像もつかなかった。

私自身 その後40年間に 深田氏の著作物に 数多く 出会うことになるが、『日本百名山』より むしろ『ヒマラヤの高峰』などの著作の方が よっぽど興味深く 読ませて頂いた。

『日本百名山』深田久弥著 1964


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「わが国の目ぼしい山にすべて登り、その中から百名山を選んでみようと思いついたのは、戦争前のことであった。その頃ある山岳雑誌に「日本百名山」と題して二十五座くらいまで連載したが、雑誌が廃刊になったので それきりでやんだ。しかし私は山に関しては執念深いから、戦後再び志を継いで、還暦の年にそれを完成した。」
『日本百名山』深田久弥 著 1964 


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■「私の選定には異論もあろう。」と深田久弥氏が自らの経験を元にして 自らの判断で選択した100の山が 「日本百名山」である。

深田氏も 「もちろん私の眼は神のごとく公平ではない。」とあらかじめから断りを入れて「日本百名山」としている。 

 雑誌「岳人」に連載中の「世界百名山」というシリーズは、深田氏が茅ガ岳登山中に亡くなられたため、絶筆となってしまった。

「世界百名山」は中座したが 「日本百名山」は 深田氏の山岳紀行をもとに選定し 出版にまで纏めあげた 山岳関係の著作物だけのことである。

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混雑する山

■「世界百名山」シリーズと同様、「日本百名山」は深田氏の山の著作であるだけのことなのに 何故か「日本百名山」は その後 著名山ブームとなって 「百名山」のピークハンティングが重要視されるような風潮になってきている。

数多くの山の中で とりわけ特定の山ばかり登られ 注目されるようになってきてしまっている。

 深田氏自身 色々な著作の中で 「混雑する山は好きでない。」とおっしゃられていたが、もし 深田氏が 存命なら 昨今の混雑する著名山ブームは 氏の本来意図したのとは 全く違うものだと 苦言なさるに違いない。

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「百を選ぶ以上、その数倍の山に登ってみなければならない。
どのくらいの数の山に登ったか数えてみたことはないが、私の山登りは少年時代に始まって今日に至るまで殆ど絶えたことがないから、多くの山を知っている点では自信がある。」
『日本百名山』深田久弥 著 1964 

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深田氏が登った頃

■深田氏が「日本百名山」を巡った時代は登山口に達するまで 大変な苦労をされている。第一まず 交通手段としての汽車での移動は遅く時間がかかり 駅から乗合自動車は便悪く 少ししか入れず、 あとは 苦労して長い森林軌道 山道 を歩き 前衛峰の山々を乗り越え 山奥深く分け入って やっと 我々が今日 楽にアプローチする現在の登山口に辿り着き 山に登るという 難行苦行の経過を経てから 登った数多くの山々、 それらのなかから百を選んだ。

 山岳自体は同じようにみえても 深田氏が登った時代の山と 今日の山とは 同じ山岳でも 交通機関 道 山小屋 山里など 山を取り巻く環境は 全く 大きく変わってしまっている。

■アプローチに かける時間 労力が 楽になるのは 山を登るには良いことなのだろうが 、便利さと引き替えに 今日の登山者が失うものも多いと思う。

今日 簡単なアプローチで 最短登山口から 一寸歩く程度で山頂に到達することで、 深田氏の時代 奥山に分け入って苦労しながら やっと登り 味わえたのと同じ 深い感動は、本当に えられるのだろうか?

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小島烏水氏 の頃

■いや実は 深田久弥氏の時代でですら、「日本百名山」は もう既に変化してきていた。

「ケーブルカーが通じ、新しい自動車道が開かれ、旅舎があちこちに建って、もはや人々は労せずして都会の服装のまま、高山の気に接しられるようになった。」----中略----「一途に繁華な山上遊園地化に進んでいるふうにみえる。」『日本百名山』深田久弥 1964

深田氏より前の 更に不便な時代に 登られた 小島烏水 氏など 山の先駆者の方々は もっと もっと 大変な苦労なされただけに 登ることで えられた感動も もっと ふかかったに違いない。

■今日 時代が更に変わり 交通機関がどんどん発達し もっと楽なアプローチになり 山小屋や 山の装備もよくなり 極めて 簡単に登り詰めて 山頂に達することができ とても楽な登山になってしまった。

深田氏が危惧されていた「山上遊園地化」が 更に進んできているのだけは確かである。

ただ 山自体の自然条件は同じなので  登る人がそれを意識して 心しておかないないと いけないと思う。

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自分の山登り

■もとより 山登りは 趣味の分野だから 人それぞれに登り方があり、「自分の好んだ」やり方で登ればいいし 、そうした 他人の山登りのやりかたを とやかく 中傷、非難、批評するのも適当でない。

■ただ私の場合は 深田氏の話を聞き 本を読んだところで 深田氏の『日本百名山』の本は本としてあるだけであって、いわゆる「著名山ブーム」は 私の山登りのスタイルではない。

流行とか 「はやり」とか 世間体に惑わされることなく 自分の山のスタイルを追求し 一つ一つの山に じっくり取り組み どうすれば 深い感動を味わえられるのか 腰を据えて 考えながら じっくり あせらず これからも 自分の山歩きを 楽しんでいきたいと思う。  

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2009年8月30日 第1版制作

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『古道巡礼』

『古道巡礼』


『古道巡礼』


『古道巡礼』高桑信一著

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『古道巡礼』高桑信一著 東京新聞出版局 2005年

「近世、それも昭和に入って街道が急激に衰退したのは、鉄道の登場によって物資の運搬の主役を奪われたからだが、壊滅的な打撃を与えたのは車社会の発達である。事実大正三年に開通した磐越西線によって八十里越は潮を引くよう
に衰退していくが、しかしなお、戦後のある時期まで人々の往来はつづいた。

戦後の復興を機に、トラックを主体とする運輸は鉄道と競うように発展を遂げ、ついに人馬による旧来の街道を駆逐してしまうのである。

皮肉にも道は、その発生の系譜を遡り、繁栄を極めた複合の道から順に消え去った。それはそのまま、人馬が主役として君臨した長い道の歴史の終焉を意味する。

この国の至るところに張りめぐらされ、地方の文化の伝播を狙った街道が滅んでから、かなりの歳月が経つ。あるものは深い草むらに沈み、あるものは苔むした石垣に繁栄の痕跡を残し、あるものは地元の熱意ある人たちの手によって
保存されて翌日の面影を回復した。そしてわずかに、目的を失わずに生きつづけたゼンマイ採り信仰などの径だけが、古道の息吹をいまに伝えているのである。」



船の道


瀬戸内海など海運が盛んなところでは 鉄道 道路だけでなく 船の道が しっかり現存してあるので 山の中の古道は 更に紆余曲折をへ 複雑な経緯もあったりして、やがて ついには廃道化した。 

2007年(平成19年)4月14日、われわれ一行は かつて賑わった 信仰の道「子持権現山ホンガケルート」を辿った。

このとき、同行の山の大師匠 F氏はかつての古道 名古瀬谷 シラサ峠(しろざ峠)経由 白井谷の2つコースのことを話されていた。いまでは 昔のルートを知る人は少なく このルートのことなど もう すっかり忘れ去られていたが、F氏の昔を回顧した 含蓄ある古道の話を直接 聞いて、古道のもつ深い意味合いを それなりに感じることができた。

 4月14日の山行には この山域に精通したエキスパートであるS氏も一緒であり 、F氏の話から大いに触発されたようで、その後シラサ峠の古道に 興味を持たれたようだった。

そして この度 S氏に この古道を案内してもらい歩いてみることになった。


古道 シラサ峠

西条市 西之川から いの町 本川村へ抜ける古道 シラサ峠。

平成19年11月23日 我々は S氏の絶妙なルートファインディングに誘導され 昔の人が辿った古道跡を忠実に 歩いてみた。

自然の地形を利用して 弱点を突いて 巧みに 付けられた古道。
今では 桟道 木橋などは 既に朽ち果てているものの 所々 未だに残る苔むした石垣は 昔の人の労苦の痕であり 我々に古道の歴史を残してくれていた。

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苔むした石垣


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まだ使える 薪ストーブ

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立派な風呂


車道


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昼頃 上り詰めた しらさ峠はアスファルト舗装された車道があり 時折 車両が行き交い 大きな山荘があった。
確かに この峠道の古道を 廃道にしたのは 間違いなく この車道である 。

私が初めて この瓶が森 石鎚山の縦走路に来た 昭和39年当時、ここは 縦走路 と 峠道であった筈だが、その後のある時代に 林道開発が進み、 土小屋から 瓶が森 伊予富士 など標高1400?1500M のところに 車道がで
きた。このとき氷見千石原はかろうじて残った。

単に山頂だけを目指すというのなら 車道ができるのは歩く距離も 短くなって とても 便利になったのは間違いない。今日、 ただ ピークを簡単に登る 風潮が主流になっているような時代には、こうした 車道も 大いに利用価値があるのだろう。

だが スカイラインの車道に至る間の 深い谷間の 奥深い自然は やはり辿ってみて はじめて 味わえるものである。こんな素晴らしい峠道であるのに、今まで 気づかずにいたり すっかり存在を忘れてしまっていたのは 時代に流されたといえば聞こえがよいが やはり山の本質を見抜けないという何とも 情けないことであった。

高桑信一氏のように 昔の記憶を辿る 山旅も素晴らしいものだと、 今回のシラサ峠を巡る 山行で感じた。  

そして そのことを 暗示的に示唆してくれたF氏、更には ご案内していただいたS氏には深く感謝する次第です。有り難うございました。 


2007年12月3日 第1版制作

古道巡礼

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