山の本の最近のブログ記事

1-20120719yamakei-cover00-002.jpg 

 「週刊 ヤマケイ」 創刊準備号。

19日発行だが17日の北アルプスの情報などがでている。 

 PC版もいいが スマホ タブレットなどにも対応。 早速 ipadにて 拝見。こ れは いい。


 1-20120720-3628.jpg 

 9月20日 からは 毎週木曜日発行で 週末登山の情報源として活用できる。

 8月2日、16日、9月6日と準備号を配信、9月20日より完全週刊化

2012-02-09_561-10.gif
2012-02-09_5601-2.gif

2007年12月17日 日本経済新聞 春秋

冬山に灼熱の太陽が輝き 衰えぬ不屈の魂が躍動する。

------------------------------------------------------------------------
・・・・・・・・・・・・・
「凍傷にやられたことを自覚しながらも、一晩中 吹雪と強風にさいなまれ、疲れ果ててなんらなす術もなかった。
 この寒気と疲労。それに空腹と凍傷、眠気・・・こんな経験は何度かあるが、今度のように大きな登攀をなしとげた後のビバークだけに、僕はどんな拷問より酷烈に感じた。
ビバークというより「遭難」という方に近い状態だったろう。
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
1957年3月15日午前10時半、四、五のコルで四十八時間ぶりにザイルをわれわれ四人はといた。
ドンちゃんと ピンちゃんは自分の手袋やザイルが、凍傷のため脱いだり、解いたりすることができなかった。
凍ったような白い手の名古屋の人たちに僕は何度も何度も握手を求めた。」
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
「憧憬の氷壁 前穂高四峰正面岸壁」
『山靴の音』芳野満彦 著

------------------------------------------------------------------------

不屈の魂 の芳野満彦氏。2012年。

『絶対に死なない』ドンちゃん
も2011年。

ともに 亡くなられた。合掌。

------------------------------------------------------------------------

「一面、雪と氷と岩の世界。自分以外には誰一人としてこの世に存在しないかのような孤独感。心細さにふと襲われる。ここで諦めて少しでも気を緩めたら、待っていましたばかりに、山の神は我々四人の魂をすくいとってしまうだろう。
そうはさせるものか、必ず生きて戻ってやる!
当時、日本でもっともむずかしいと言われていた岩壁の初登攀に挑み、最難関である大ハングはすでに越えたのだ。あとは無事に生きて帰るだけ。我々の中の「生きようとする力」は、数々の敵と一晩中闘いつづけていた。」


 『絶対に死なない』加藤幸彦著2005年 講談社

------------------------------------------------------------------------

2012-01-18-480_0203_20120208062633.jpg

山の中でレスキューすること

山岳地帯で遭難が発生するような 厳しい気象や地形の条件のもとで
四季を問わず 昼夜 問わずも いつでも 救助要請に応じ ひとをたすけることは いかに 大変なことか よくわかった。

いま ヘリ救助が多くなったものの
ヘリは ジャンダルムで墜落事故があったように 厳しい気象地形条件では 簡単には いかない。

ヘリが 飛べないとき 地上から レスキューしたり、ヘリ救助ができるところまで 要救助者を隊員が背負って移動する。

どんな厳しい 条件でも 救助隊員は全力で対応し 安全確実に 救助している。

この本を読むと 山岳レスキューは  とんでもなく 難しいことで、山中で 人助けができる レベルは桁違いの能力や体力を 必要とする プロ中のプロの仕事だと 改めて 痛感した。

せめて 我々素人に出来ることは レスキュー要請など けっして出すことなどないよう、 万全に 計画し 準備して
山中では 慎重に行動するなど 普段から 遭難しないように 安全登山に こころがける ことだ。

「見知らぬ山が
幾重にも
遠く連なる

・・・・・

山 山 山
白い大きな波
そのうねり
・・・・・」


芳野満彦 氏
ご冥福をお祈りします。

------------------------------------


『山靴の音』

耳を澄ましてごらん
・・・ほら  ね  ね・・・
何処からか
古い記憶の
山靴の音が
聴こえてくる
ほら 僕の全身に
滲透(しみ)わたるように・・・・・


-------------------------------------

2012-01-25_480-0024.jpg


『山岳読図大全』村越 真  2011年11月 山と溪谷社

実際に起きた 数多くの 道迷い の事例を分析。


どんな きっかけで 道に迷い、
次々と 深みに入っていって
正常ルートに戻れなくなっていたかなど 詳しく記述。

つねに 背景的に 心理的な 要因がかかわっている。

『道迷いとは、様々な要因から生まれたルートの逸脱と現在地の見失いが
人間の心理的傾向によって悪循環的に拡大し、目的地への到達を妨げる現象と
考えることができる。』


初心者ばかりでなく ベテランでも道に迷う。

が つねに

『自分の力量を客観的に判断する努力と、
「リスクを下げたい」という強い意志のみが、
道迷いを減らすことができる。』

2011-11-11_480.jpg


「世界のどこでも生き残る 完全サバイバル術」ナショナル ジオグラフィック

ナショナル ジオグラフィック
「世界のどこでも生き残る 完全サバイバル術
自分を守る・家族を守る」マイケル・S・スウィーニー著
日経ナショナル ジオグラフィック社 2011年8月29日第一版
ISBN:9784863131460

あらゆる環境・地域・条件下で生き延びる力をつけよう!
ナショナル ジオグラフィック

SASなど軍関係のサバイバル本が多かったが
ナショナル ジオグラフィックのサバイバル本は
具体的なサバイバルの実例が数多く出ていて参考になる。
登山の技術書としてもいい。

ただ注意したいのは 「サバイバルの基本」 は 単に 知識やテクニックではない。

軍関係のサバイバル本にも くどい位 出ているように、
サバイバルとは「生き抜こうという意志の力」。

どんなに絶体絶命の 絶望の淵にいたっても  ビクともしない腰のすわった精神的なタフさをもつかどうかが 最後の最後では 生死の決め手になる。

それには 普段から万が一にそなえて 用意周到に準備し 心構えを 鍛えあげて おくことが一番 たいせつだ。

---------------------------------------------------------------- 『日本百名山』深田久弥著 1964 ---------------------------------------------------------------- 4昔前 『日本百名山』深田久弥著 1964 ■ 深田久弥氏は38年前 茅ガ岳登山中に亡くなられたが、その数年前、講演会で深田氏の山の話を じかに聴いたことがあった。 十年一昔でいえば、四昔も 前のことであるが いまだに そのときの 氏の話しぶりや表情など 印象深く 覚えている。 ■話を聞いた当時 『日本百名山』という本は 既に出版されていて 出回っていたのだが、その頃は 今日のいわゆる「著名山ブーム」もなかった。 まだ 若かった 私には 「日本百名山」など とりたてて興味もなく、要するに「日本百名山」とは 深田氏が登って書いた 山岳紀行文を集めた本であって、ただそれだけのこととして、特に気にも とめていなかった。 ■深田久弥著『日本百名山』が その後 著名山ブームのきっかけをつくり、 昨今では 猫も杓子も 「百名山」「百名山」というような いわゆる著名山ブーム の隆盛につながっていくことになるとは 講演を聞いた 四十年前には 全く 想像もつかなかった。 私自身 その後40年間に 深田氏の著作物に 数多く 出会うことになるが、『日本百名山』より むしろ『ヒマラヤの高峰』などの著作の方が よっぽど興味深く 読ませて頂いた。 『日本百名山』深田久弥著 1964 ---------------------------------------------------------------- ■ 「わが国の目ぼしい山にすべて登り、その中から百名山を選んでみようと思いついたのは、戦争前のことであった。その頃ある山岳雑誌に「日本百名山」と題して二十五座くらいまで連載したが、雑誌が廃刊になったので それきりでやんだ。しかし私は山に関しては執念深いから、戦後再び志を継いで、還暦の年にそれを完成した。」 『日本百名山』深田久弥 著 1964  ---------------------------------------------------------------- ■「私の選定には異論もあろう。」と深田久弥氏が自らの経験を元にして 自らの判断で選択した100の山が 「日本百名山」である。 深田氏も 「もちろん私の眼は神のごとく公平ではない。」とあらかじめから断りを入れて「日本百名山」としている。   雑誌「岳人」に連載中の「世界百名山」というシリーズは、深田氏が茅ガ岳登山中に亡くなられたため、絶筆となってしまった。 「世界百名山」は中座したが 「日本百名山」は 深田氏の山岳紀行をもとに選定し 出版にまで纏めあげた 山岳関係の著作物だけのことである。 ---------------------------------------------------------------- 混雑する山 ■「世界百名山」シリーズと同様、「日本百名山」は深田氏の山の著作であるだけのことなのに 何故か「日本百名山」は その後 著名山ブームとなって 「百名山」のピークハンティングが重要視されるような風潮になってきている。 数多くの山の中で とりわけ特定の山ばかり登られ 注目されるようになってきてしまっている。  深田氏自身 色々な著作の中で 「混雑する山は好きでない。」とおっしゃられていたが、もし 深田氏が 存命なら 昨今の混雑する著名山ブームは 氏の本来意図したのとは 全く違うものだと 苦言なさるに違いない。 ---------------------------------------------------------------- 「百を選ぶ以上、その数倍の山に登ってみなければならない。 どのくらいの数の山に登ったか数えてみたことはないが、私の山登りは少年時代に始まって今日に至るまで殆ど絶えたことがないから、多くの山を知っている点では自信がある。」 『日本百名山』深田久弥 著 1964  ---------------------------------------------------------------- 深田氏が登った頃 ■深田氏が「日本百名山」を巡った時代は登山口に達するまで 大変な苦労をされている。第一まず 交通手段としての汽車での移動は遅く時間がかかり 駅から乗合自動車は便悪く 少ししか入れず、 あとは 苦労して長い森林軌道 山道 を歩き 前衛峰の山々を乗り越え 山奥深く分け入って やっと 我々が今日 楽にアプローチする現在の登山口に辿り着き 山に登るという 難行苦行の経過を経てから 登った数多くの山々、 それらのなかから百を選んだ。  山岳自体は同じようにみえても 深田氏が登った時代の山と 今日の山とは 同じ山岳でも 交通機関 道 山小屋 山里など 山を取り巻く環境は 全く 大きく変わってしまっている。 ■アプローチに かける時間 労力が 楽になるのは 山を登るには良いことなのだろうが 、便利さと引き替えに 今日の登山者が失うものも多いと思う。 今日 簡単なアプローチで 最短登山口から 一寸歩く程度で山頂に到達することで、 深田氏の時代 奥山に分け入って苦労しながら やっと登り 味わえたのと同じ 深い感動は、本当に えられるのだろうか? ---------------------------------------------------------------- 小島烏水氏 の頃 ■いや実は 深田久弥氏の時代でですら、「日本百名山」は もう既に変化してきていた。 「ケーブルカーが通じ、新しい自動車道が開かれ、旅舎があちこちに建って、もはや人々は労せずして都会の服装のまま、高山の気に接しられるようになった。」----中略----「一途に繁華な山上遊園地化に進んでいるふうにみえる。」『日本百名山』深田久弥 1964 深田氏より前の 更に不便な時代に 登られた 小島烏水 氏など 山の先駆者の方々は もっと もっと 大変な苦労なされただけに 登ることで えられた感動も もっと ふかかったに違いない。 ■今日 時代が更に変わり 交通機関がどんどん発達し もっと楽なアプローチになり 山小屋や 山の装備もよくなり 極めて 簡単に登り詰めて 山頂に達することができ とても楽な登山になってしまった。 深田氏が危惧されていた「山上遊園地化」が 更に進んできているのだけは確かである。 ただ 山自体の自然条件は同じなので  登る人がそれを意識して 心しておかないないと いけないと思う。 ---------------------------------------------------------------- 自分の山登り ■もとより 山登りは 趣味の分野だから 人それぞれに登り方があり、「自分の好んだ」やり方で登ればいいし 、そうした 他人の山登りのやりかたを とやかく 中傷、非難、批評するのも適当でない。 ■ただ私の場合は 深田氏の話を聞き 本を読んだところで 深田氏の『日本百名山』の本は本としてあるだけであって、いわゆる「著名山ブーム」は 私の山登りのスタイルではない。 流行とか 「はやり」とか 世間体に惑わされることなく 自分の山のスタイルを追求し 一つ一つの山に じっくり取り組み どうすれば 深い感動を味わえられるのか 腰を据えて 考えながら じっくり あせらず これからも 自分の山歩きを 楽しんでいきたいと思う。   ---------------------------------------------------------------- 2009年8月30日 第1版制作 ---------------------------------------------------------------- HOME >よもやま話 >『日本百名山』深田久弥著 1964http://shumiyama.web.fc2.com/yomoyama/2009meizan100.htmlhttp://shumiyama.web.fc2.com/ 「趣味の山歩き ますます深くなる 近くの山域」 趣深山 Copyright(c) since 2002  趣深山 All Rights Reserved

『古道巡礼』

『古道巡礼』

『古道巡礼』


『古道巡礼』高桑信一著

1-20071129takakuwa1.jpg


『古道巡礼』高桑信一著 東京新聞出版局 2005年 「近世、それも昭和に入って街道が急激に衰退したのは、鉄道の登場によって物資の運搬の主役を奪われたからだが、壊滅的な打撃を与えたのは車社会の発達である。事実大正三年に開通した磐越西線によって八十里越は潮を引くよう に衰退していくが、しかしなお、戦後のある時期まで人々の往来はつづいた。 戦後の復興を機に、トラックを主体とする運輸は鉄道と競うように発展を遂げ、ついに人馬による旧来の街道を駆逐してしまうのである。 皮肉にも道は、その発生の系譜を遡り、繁栄を極めた複合の道から順に消え去った。それはそのまま、人馬が主役として君臨した長い道の歴史の終焉を意味する。 この国の至るところに張りめぐらされ、地方の文化の伝播を狙った街道が滅んでから、かなりの歳月が経つ。あるものは深い草むらに沈み、あるものは苔むした石垣に繁栄の痕跡を残し、あるものは地元の熱意ある人たちの手によって 保存されて翌日の面影を回復した。そしてわずかに、目的を失わずに生きつづけたゼンマイ採り信仰などの径だけが、古道の息吹をいまに伝えているのである。」

船の道

瀬戸内海など海運が盛んなところでは 鉄道 道路だけでなく 船の道が しっかり現存してあるので 山の中の古道は 更に紆余曲折をへ 複雑な経緯もあったりして、やがて ついには廃道化した。  2007年(平成19年)4月14日、われわれ一行は かつて賑わった 信仰の道「子持権現山ホンガケルート」を辿った。 このとき、同行の山の大師匠 F氏はかつての古道 名古瀬谷 シラサ峠(しろざ峠)経由 白井谷の2つコースのことを話されていた。いまでは 昔のルートを知る人は少なく このルートのことなど もう すっかり忘れ去られていたが、F氏の昔を回顧した 含蓄ある古道の話を直接 聞いて、古道のもつ深い意味合いを それなりに感じることができた。  4月14日の山行には この山域に精通したエキスパートであるS氏も一緒であり 、F氏の話から大いに触発されたようで、その後シラサ峠の古道に 興味を持たれたようだった。 そして この度 S氏に この古道を案内してもらい歩いてみることになった。


古道 シラサ峠

西条市 西之川から いの町 本川村へ抜ける古道 シラサ峠。 平成19年11月23日 我々は S氏の絶妙なルートファインディングに誘導され 昔の人が辿った古道跡を忠実に 歩いてみた。 自然の地形を利用して 弱点を突いて 巧みに 付けられた古道。 今では 桟道 木橋などは 既に朽ち果てているものの 所々 未だに残る苔むした石垣は 昔の人の労苦の痕であり 我々に古道の歴史を残してくれていた。 2-2007-11-23-10-35-isigaki_00.jpg 苔むした石垣 3-2007-11-23-10-21-stove_0056.jpg まだ使える 薪ストーブ 4-2007-11-23-15-25-huro_0105.jpg 立派な風呂

車道

5-2007-11-23-12-38-sirosa_008.jpg 昼頃 上り詰めた しらさ峠はアスファルト舗装された車道があり 時折 車両が行き交い 大きな山荘があった。 確かに この峠道の古道を 廃道にしたのは 間違いなく この車道である 。 私が初めて この瓶が森 石鎚山の縦走路に来た 昭和39年当時、ここは 縦走路 と 峠道であった筈だが、その後のある時代に 林道開発が進み、 土小屋から 瓶が森 伊予富士 など標高1400−1500M のところに 車道がで きた。このとき氷見千石原はかろうじて残った。 単に山頂だけを目指すというのなら 車道ができるのは歩く距離も 短くなって とても 便利になったのは間違いない。今日、 ただ ピークを簡単に登る 風潮が主流になっているような時代には、こうした 車道も 大いに利用価値があるのだろう。 だが スカイラインの車道に至る間の 深い谷間の 奥深い自然は やはり辿ってみて はじめて 味わえるものである。こんな素晴らしい峠道であるのに、今まで 気づかずにいたり すっかり存在を忘れてしまっていたのは 時代に流されたといえば聞こえがよいが やはり山の本質を見抜けないという何とも 情けないことであった。 高桑信一氏のように 昔の記憶を辿る 山旅も素晴らしいものだと、 今回のシラサ峠を巡る 山行で感じた。   そして そのことを 暗示的に示唆してくれたF氏、更には ご案内していただいたS氏には深く感謝する次第です。有り難うございました。 


2007年12月3日 第1版制作 古道巡礼 http://shumiyama.web.fc2.com/yomoyama/2007kodou.html

HOMEよもやま話 >『古道巡礼』

http://shumiyama.web.fc2.com/ 「趣味の山歩き ますます深くなる 近くの山域」 趣深山 Copyright(c) 2002-2008  趣深山 All Rights Reserved

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち山の本カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは山里です。

次のカテゴリは小島烏水です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.1.2