2012年2月アーカイブ


平成24年2月26日 三嶺(1893) 西熊山(1815) 天狗塚(1812)





河北春秋

雪山に潜む危険を今月、80歳で亡くなった登山家の芳野満彦さんは「アクシデントのクレバス」と表現している。
いつの間にか落ち込み、気付いた時はもう身動きできない


▼芳野さんは17歳の冬に八ケ岳で遭難した。同行の友を失い、凍傷で自身も両足を半分切断した。懸命のリハビリで登山を再開。1965年、日本人として初めてマッターホルン北壁登頂に成功した

 ▼著書『新編山靴の音』に、八ケ岳遭難の詳細が記されている。変わりやすい冬山の天候、装備や食料の不備、そして進むか戻るかの場面で、何度か判断ミスがあったと悔やむ

▼芳野さんは蔵王でも、スキーで山越えしようとして猛烈な吹雪に襲われ、ビバークした体験がある。「冬山はいくら標高が低いといっても、あまりなめるものではない」と自戒している

▼秋田駒ケ岳では先日、山スキーの登山者が遭難し亡くなった。2000年2月、秋田大生が遭難した現場の近くである。悲劇の再発を防ぐ方法はなかったのか


▼困難な登山をしてきた芳野さんは、山では死ななかった。失敗に学んだということだろう。災厄から何を教訓として得るのか。大津波と原発事故で浮き彫りになった数々の落とし穴。


山にしろ海にしろ、自然との向き合い方は「なめるものではない」。

2012年02月22日水曜日 河北新報


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登山歴40年以上のベテランで冬山の経験も豊富だった。八幡平遭難対策委員会捜索救助隊(八捜隊)の副隊長も務めていた。


 捜索に当たった山仲間らによると、○○さんはスキーをしに秋田駒ケ岳周辺を訪れた。田沢湖スキー場のリフト終点からさらに登って滑っていたが、雪庇(せっぴ)から3メートルほど下に転落。吹雪で視界が悪く、道に迷ったとみられる。

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冬山に灼熱の太陽が輝き 衰えぬ不屈の魂が躍動する。

冬山に灼熱の太陽
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「習慣がいつも問題だ。アンカレッジ(アラスカ州)の近くにある、この明白なアバランチ・パスにおいて、なぜ皆がこの斜面の一番急な斜面をいつも横断するのか? 僕はそこに夏道が存在することに気がつくまで、その行為が理解できなかった。」
(Chugach Range,Alaska)(C)Bruce Tremper
『雪崩リスクマネジメント』Bruce Tremper著 日本雪崩ネットワーク訳
 山と溪谷社 2004年12月1日

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2011年3月26日 落合峠(1520)から 矢筈山(1848)への途中

季節はもう 3月下旬。 例年の この時期にくらべ この年は雪が多く残っていたのに、雪も締まっているからと、迂闊にも判断。

夏道の トラバースコースをとってしまった。

積雪期は いつも意識して尾根通りのコースをとっているのだが 3月下旬という 先入観が判断の根底にあった。

途中 雪面から 例年より すこし 季節が違うなと暗示的な 違和感を感じとってはいたが もう少しで 鞍部へ という気持ちのほうが 先に立って 前へ前へ 進んでしまった。

そのとき 一歩 踏み出すと共に 突然 大きな雪面全体が 一気に 亀の子状に破れて 動きだし 雪面が滑りだした。

やばい!

はじめ 畳四帖半くらいが 瞬時に 10m四方 20m四方と どんどん広がって 瞬く間に さらに 大きく どんどん 亀の子のキレツが 広い雪面いっぱいに ひろがって動いていく。

一瞬 スローモーションのような 割れと 雪面の動きに 体勢は崩れながらも 必死に 端部に逃げようとするが、 はやい雪面の流れのなかでは どうしようもない。

 なんとか 主流の流れに だけは まき込まれないようと 立て直し 必死に逃げようとする。

このあいだ 時間としては ほんの数秒だったろうが ずいぶん長く感じた。

止まってくれ。

さいわい 端部の ほうだったので 流された距離も少なくてすみ 埋没せず 怪我もなく ことなきをえて 雪崩は 止まった。

 雪崩の主流の中に まき込まれたら さらに はるか下まで流されてしまうところだった。 

助かった。

本当に危ない。

すぐに引き返し 矢筈山 第二峰経由に切り替えて 矢筈本峰へ向かった。

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2011年 3月 26日 撮影
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「つまり、雪崩地形に行っても何も起こらない。もう一度行っても何も起こらない。さらにくり返し行っても、まだ何も起こらない。そう、味をしめるのだ!
だが そこには決定的な事実がある。積雪は95%の確率で安定しているのだ。つまり 、雪崩についてまったく無知でも、20回に19回は何も起こらない。これは かなりの勝算だろう。だが 逆を言えば、20回に1回は、とてつもない恐怖、打撲、ケガ、あるいは死を味わうことになる。」
『雪崩リスクマネジメント』Bruce Tremper著 日本雪崩ネットワーク訳
 山と溪谷社 2004年12月1日


■たとえ 5パーセントの確率でも  雪山に数多く いけば いくほど 雪崩に出くわす場面は多くなる。

山に行く機会が多く、山中での滞在時間が 長ければ長いだけ それだけ 危険に遭遇する機会は増える。

正直言って 若い頃は 中部山岳の多雪地帯で、 いま ふりかえればゾッとする 「無知の至福」のケースもあった。

その後も 雪山では足元からバサッと切れるなど ヒヤッとした場面など たびたび体験。

それでも 運良く まあ まあ 大丈夫。

しかし いままで 大丈夫から 今後も まあ大丈夫 というのは 自分勝手な判断で、単なる希望的な憶測にすぎない。

やはり そのつど 冷静な判断が必要なのだろう。

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"僕は16歳の時、ほとんど何も考えずに、高い雪庇から飛び下りたり、険しいクーロワールに飛び込んだりした。今は、ロープを装着せずには、雪庇の先端に近づくことさえあり得ない。年齢と責任が増し、僕は注意深くなったが、それはバリー・ルバルトナーの言葉を借りれば「良い判断は経験から、経験は悪い判断から得られる」からである。"
『雪崩リスクマネジメント』Bruce Tremper著 日本雪崩ネットワーク訳
 山と溪谷社 2004年12月1日


■ことに、「温暖な四国だから まあ大丈夫だろう」 という 先入観は 自分勝手な判断 以上に 一番怖い。


実際 温暖な四国でも 雪崩の遭難事故は 

1943年 3月29日 石鎚山 初芽成谷 上部 おたけ沢 1人死亡
1963年 1月14日 高知県 天狗原 高原スキー場 5人救出
1965年 3月16日 一の森 1人死亡
1968年 2月23日 石鎚山 初芽成谷 - 雪瀑間 4人死亡
1997年 2月11日 笹ヶ峰 北面 1人死亡
2001年 2月14日 石鎚山 ニノ鎖 三ノ鎖間 怪我

など 発生している。

羹に懲りて膾を吹く。

雪山は 臆病な方が いい。

臆病なら たとえ悪い判断でも 大事にならずにすむ。
ただし 良い判断のもとになる 貴重な経験をつむのには より多くの時間がかかる。


平成24年2月11日 天狗峠 付近で 目撃 した 雪崩痕

 【天狗峠 東面】




平成24年2月11日撮影

平成24年2月4日 撮影の 下の 写真と見比べてみると この一週間で 新たに 雪崩が発生したのがわかる。





この斜面は 要注意だ。




【天狗峠 南面】


平成24年2月11日撮影

1月に 雪崩れたのとは 別の また新たな 雪崩が発生していた。





平成24年2月11日撮影 



平成24年2月4日 撮影 


【 お亀岩避難小屋 】

平成24年2月11日撮影  

平成24年2月4日 三嶺(1893) 西熊山(1815) 天狗塚(1812)